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人生は弁証法的連続体である(夢の学び26)

あなたには、気になっている夢がひとつあるとします。その夢の意味を知りたくてドリームワークに参加します。それで何らかの意味を受け取ることができました。単発のドリームワークとしては、充分に目的が果たせたわけです。
しかし、夢の記録を取り、その意味を読み解くことの真の目的とは、生きることの真実を実感することにあるのです。「人生とは弁証法的連続体である」という真実です。

あなたにとって時間とは、手かせ足かせでしょうか。あるいは流れてほしくない「呪わしい」ものでしょうか。「できれば時間を巻き戻したい」とあなたは考えているでしょうか。歳をとり、人生の残り時間がわずかになってくると、そういう感覚にもなるかもしれません。
このように、もしあなたが「時間は有限であり、過去→現在→未来という具合いに直線的に、後戻りできないかたちで流れるものである」という認識なら、それはもったいない話です。
では、こう考えてみてはどうでしょう。
「人間にとって時間とは、地球がもたらしてくれる最大の恩恵である。私たちは、その最大の恩恵を味わうために、この地球上に存在しているのだ。」
もし時間が直線的・不可逆的ではなく、円を描くかたちで、あるいは過去と現在と未来が互いに連携しながら、縦横無尽に錯綜するようなかたちで流れるとしたら・・・。

これを実感できる方法があります。夢日記をある程度連続的につけ、単発ではなく、連続体(スペクトラム)としてドリームワークしてみることです。そうするとあなたは、自分の人生が直線的ではなく、「弁証法」的に連続して動いていることを実感するはずです。
「弁証法」を人生に取り入れるとすると、ごく簡単に言うなら、「現在は過去を含んで超え、未来は現在を含んで超える」となります。
私が「インテグラル夢学」を体系化した最大の目的のひとつが、この「人生を弁証法の動きとして捉える」ということなのです。そういう意味で、「インテグラル夢学」は、新しい時間論の試みでもあります。
私は「インテグラル夢学」の基礎研究として、22年間にわたる自分の夢日記に頻繁に登場する共通のシンボルの意味を追うかたちで総合的なドリームワークを行ない、その一貫した流れが弁証法的な動きの連続体であることを証明してみせました。

では、人生を弁証法的な時間論で捉えるメリットとは何でしょう。それは、「次に起きることの予想がつきやすい」ということです。そのことを知れば、あなたは「時間を巻き戻したい」とは思わなくなるはずです。過去のすべての出来事が、忌まわしいものではなく、意味のあるかけがえのないものとして、途端に輝きを増すでしょう。過去が輝くことによって初めて人は未来に希望が持てるようになるのです。
私はひとつの仮説を唱えています。それは「精神的な病理とは、弁証法的な時間的連続性が分断されることによって起きる」という仮説です。これによって人は未来への希望を失うのです。つまり、人間が健康で幸福に生きるためにも、弁証法的な連続性による時間認識が必要なのです。
以上のことは、夢学が個人の自己成長や自己実現に寄与することを意味します。まさに、「寝てみる夢と叶えたい夢は、車の両輪のようなものである」ということです。
さて、いったいどれだけの「ドリームワーカー」が、夢から「人生の弁証法的な動き」を導き出すことができるでしょう?

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