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現実を変えるのでなく、現実に対する態度を変えよ

誰も現実など変える必要はない。
変える必要があるとしたら、それは現実に対する自分の態度だ。

現実を何とか変えようとする人間は、現実というものが自分の外側にあると信じ込んでいる。だから、現実の世界を、自分の理想に合わせて変えたがるのだ。その涙ぐましい努力は、必ず挫折する。
そういう認識の人は、自分たちの外側に人類共通の普遍的な「現実」が存在していると思い込んでいる。しかし私たちは、それぞれ別の現実を見ている。「あなたの現実」と「私の現実」は別ものなのだ。この認識からでなければ、自己変革は始まらない。
結局のところ、ある人の「現実」とは、その人が環境に対して取っている態度のことなのだ。
つまり、自分の「態度」を変えた瞬間に、あなたの「現実」は変わる。
どの方向への変化かと言えば、当然狭い(浅い・低い)認識からより広い(深い・高い)認識への変化だ。

確かに、環境に対する自分の態度を変えることには、ある種の「痛み」が伴う。それは、自分を中心に世界が回っているのではない、という単純な事実を認める瞬間であり、同時に、この「現実」あるいは「環境」の中に自分を含めることを忘れていることに気づく瞬間でもある。「自分」と「自分の現実」との関係、「自分」と「外的環境」との関係とは、決して単純なものではない。
そのとき感じる痛みとは、鏡に映った見なれない自分の姿を見たときの、レコーダーに録音された聴きなれない自分の声を聴いたときの、環境という反射盤に反射した感じなれない自分を感じたときの痛みかもしれない。
自分に感じる「よそよそしさ」こそが、人を脱皮へと促す。
脱ぎ終わった自分の抜け殻を外側から眺めたとき、人は思うだろう、これがかつての自分の「現実」だったと。

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