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なぜ「インテグラル夢学」なのか

■フロイトやユングはもう旧い

私は今、「インテグラル夢学」という新しい夢学理論の体系化を手掛けている。
もちろん、ケン・ウィルバーが提唱する「インテグラル理論」をバックボーンにしている。
ウィルバーの「インテグラル理論」の細部を検討すればするほど、新しい夢学理論の体系化にぴったりフィットするからだ。

そこで、改めて、なぜ「インテグラル夢学」なのか、その目的や意図をはっきりさせておこうと思う。
「夢」という現象を、ウィルバーのインテグラル理論で読み解くことには、大きく分けて二つの意図がある。横軸と縦軸と言ったらいいだろうか。

横軸の方は、「夢学」(平たく言うなら夢分析・夢解釈)の歴史的な流れに関わる。夢分析や夢解釈といえば、真っ先にフロイトやユングの名が思い浮かぶだろうが、端的に言って、夢に関するフロイト理論やユング理論は、すでに旧くなっていて、現代には通用しなくなっている部分がある。そこを現代版にアレンジするなり、バージョンアップするなり、という必要性があると私は考えている。
たとえば、21世紀の現代に生きる私たちにとって、これからの文化・文明を考えるにあたり、どこで何をするにも、決して無視することのできないパラダイムとして、「エコロジー」という観点があるだろう。家庭生活をするうえでも、企業経営をするうえでも、あるいは学校教育を考えるうえでも、エコロジー意識は欠かすことができないはずだ。つまり、私たち人間は、自分たちの住処である地球と、どのようにつき合っていけばいいのか、という問題である。このテーマから逃れられる現代人はいないはずだ。

ところで、フロイトが亡くなってから約20年後にユングが亡くなったのが、1961年。一方、世の中に「エコロジー」という新しいパラダイムが登場したのが1950年代から60年代にかけてである。つまり、ユングがこの世を去るのと入れ替わるようにして、この新しいパラダイムが出現してきたことになる。
「しかし、夢の理論とエコロジーがどう関係するのか?」とあなたは思うかもしれない。では、あなたが「グリーンピース」の活動家だったとする。そんなあなたが、ある日「ある女性の毛皮のコートに火をつける」という夢をみたとする。それに対し、ドリームカウンセラーから、「セレブへのやっかみから、上流階級の象徴である毛皮のコートを焼いた」という解釈を提示されたら、あなたは「そんな単純な話ではない」と思うのではないだろうか。

あらゆることが、フロイトやユングの時代より複雑になっているのだ。新旧パラダイムの入れ替わりという現象は、もちろんエコロジーに限ったことではない。20世紀の前半は、こうした新旧パラダイムの入れ替わりが盛んに行われていた時代でもある。大雑把に言うなら、18世紀から19世紀にかけての産業革命とそれを背景にした啓蒙思想(モダニズム)が限界を迎え、ポストモダンの思想に入れ替わる時期だった。

■ウィルバーによるパラダイムシフト

フロイトやユングの理論も、どちらかというと、入れ替わる対象である旧パラダイムに属する。実際、ウィルバーは「インテグラル心理学」といった新しい理論を構築するにあたり、フロイトやユングを踏まえながらも、修正が必要な部分には、大胆かつ論理的に修正を加えている。それは「細部をマイナーチェンジする」というやり方ではなく、まさにパラダイム全体を組み替えるかたちを採っている。
当然、フロイトやユングの理論には、「地球とどうつき合うか」といったエコロジー的な観点は微塵も含まれていない。少なくとも現代人と同じ意味合いでは意識されていない。この言い方には異論を唱える人もいるかもしれないので、より厳密に言うと、たとえばユングの集合的無意識論や元型論には、古代的・神話的イメージは含まれていたとしても、ユング以後に登場した、まったく新しい、より高度なパラダイムは含まれようがない。ユングがどれほどの天才だったとしても、その時点でまだ構築されていないパラダイムに同一化はできない。やはりその部分は、ウィルバーが言うように「隠された地図」なのだと思う。
たとえば、「物理学と心理学はどう関連するのか?」といった命題は、明らかにユング以後に出現してきたものだ。つまり、ユングはこうした命題を含めたうえで持論を構築してはいない。ウィルバーはしている。
もっと極端な話をするなら、ユングの時代でいう「無意識」と、現代の私たちにとっての「無意識」とでは、その意味するものの「構造」自体も、同じものではないのだ。そのことに関しても、私はこれからじっくり解説していこうと思っている。
いずれにしろ、何が旧で、何が新なのか、それはエコロジーや心理学の分野に限らず、ウィルバー流にいうなら、文字通り4象限すべての分野にわたって新旧パラダイムの比較を行ったうえで、場合によっては、入れ替え、修正、組み直し、バージョンアップが必要になってくるだろう。
私は、夢学の分野で、それをやろうとしているわけだ。

■旧パラダイムにも居場所を与える

もうひとつ、縦軸でいえば、そうした新旧パラダイムの入れ替え作業を行うにあたり、単純に「旧を捨てて、新に置き換える」というやり方でいいのか、それとも、旧を捨てるのではなく、「含みつつ超える」というやり方なのか、という問題がある。そこで、まさにこの後者のやり方を提供してくれるのが、ウィルバーの「インテグラル理論」だったわけだ。ウィルバーは旧パラダイムをごっそり捨て去るというやり方をしない。否定する場合はあっても、捨て去りはしない。それにもちゃんと「居場所」を与えたうえで、それを超えてみせる。

下の図は、人類史の中で、それぞれの時代ごとに、新パラダイムが旧パラダイムを含みながら超えていく様子を、「スパイラル・ダイナミクス」を目盛りとして表したものである。このうち、オレンジからグリーンへの移り変わりは、まさに産業革命時代(モダン)から現代(ポストモダン)への変遷を表している。

パラダイムの横軸縦軸tr

そんなわけで私は、新しい夢学を思いっきり「インテグラル」(統合的)に扱う試みとして「インテグラル夢学」概論編を書いた。
しかし、ウィルバー理論があまりにインテグラルであるために、様々な誤解や不理解が生じているのと同じように、「インテグラル夢学」も「あまりに広範囲で専門的すぎる」とのご指摘を受けている。
そこで、「インテグラル夢学」各論編では、縦軸方向の意図を見直し、いったん思いっきり上位に揚げた理論を、再び下位へ降ろす作業を心掛けようと思っている。結局それは、ウィルバーの「インテグラル理論」という、おそろしく広範で高邁で深遠な理論を、たとえば「哲学や心理学に興味はあるけれど、小難しい理論は苦手」という人にもわかりやすく読み直して提示する作業にもなっていくだろう。

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