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「楽しい」が生み出すモノ

最近、開発現場で「楽しい」と「面白い」という言葉の価値が下がっていると感じます。

重要性が減少した、という意味ではありません。

ゲームデザインについての記事や言及が増えたことで、具体性を欠いた「楽しい」「面白い」という表現は判断基準の曖昧さの象徴として忌避されたり、冷笑される対象に変わってきたのかもしれません。(被害妄想ですね)

「それって結局どういう意味なんですか?」
「で、何が楽しいんです?」
「その楽しさってなんですか?」

質問に対してスルーするわけにもいかず、きちんと考えて答えます。
答えられないということは、考えがゴールに至っていないということでもありますし。

ただ、毎回質問だったり疑問だったり、場合によっては疑いの目を向けられると説明する側も疲れてしまいます。

ああ…ぶっちゃけ…面倒だなあ。

と思うこともしばしば。

そこで、なぜこのような事態になっているかを考えてみました。
また、楽をする方法も。

なぜこのような事態になっているか?

それは「楽しさとは何か」と「何が楽しいのか」を考えてしまうからです。

「楽しさとは何か」

これは人類にとっての問いかけであり、永遠に解けることはないでしょう…なぜなら哲学の領域なので、人の数だけ考えがあるからです。

これについて考えることは好きですし、それが仕事なのですが…最近はちょっと仕事に疲れているので、じっくり考える時間がありません。

「何が楽しいのか」

こちらは具体的に説明することができます。

  • 大量の敵を無双する爽快感

  • 大量のオブジェクトをくっつけていく爽快感

  • ぎりぎりの死闘感

  • 知略を尽くして敵の考えを上回る達成感

  • 感情を揺さぶり続けるめちゃくちゃ泣けるストーリー

ご覧の通り「何が楽しいのか」は「なぜ、どこが楽しいのか」の説明であり、価値を説明することでもあるため、やりたいこと(商品)ごとに無数の回答があります。

そのため説明する際に「こうすると楽しいと思うんだよね」と口に出すと「それはどういうタイプの楽しさなんですか?私に分かるようにプレゼンしてください」と言われる…とは限りませんが、最近はそうしたやりとりが増えてきた気がしています。

面倒くさいので楽に考える方法を考えてみた

さて、楽しさについて考えると答えが無数にあるため、いちいち「どの楽しさなのか」を探し、選び、説明する必要があります。これが手間です。

1つの問いに無数の答え

そこで考えたのは「結局、どういう感情が出力されるのか」でした。

「楽しさ」という曖昧な審査を通過した結果、ユーザーにはどういう感情が生まれるのか?

最終的な出力だけ1本化することで、逆に過程を評価してやればいいのではないか。

到達するゴール(ユーザー感情)は1つのはずだ


もったいぶるものでもないのでパッと言ってしまいますが、すべての楽しさに共通する出力結果は「つづけたい」ではないでしょうか。

「つづけたい!」こそが答え

その楽しさの正体がなんであれ、結果としてユーザーが「つづけている」か「つづけたい」と思っているなら、それは「楽しい」ということなのではないか。

「それって楽しいんですか?」と問われたら「それって続けたいんですか?」だったり「続けたいと思えるんですか?」という問いに変換すれば、評価基準としてシンプルで答えやすい。

楽しさについてどんなに考えたとしても、結果として「つづけたいと思いますか?」という問いに答えられないなら、それは「楽しくない」のかもしれません。

まとめ

  • 「楽しい」について考えるのは疲れるときもある

  • 「楽しさ」は説明が無数にあり、説明にカロリーを消費する

  • 無数の楽しさの先にある共通項として「つづけたい」があるのでは

  • 「つづけたい」のであれば「楽しい」と言えるのでは

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