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季節の移ろいと、自分のいない時間

仕事中に屋外に出たときに吹く風が、ここ3日であっという間にあたたかなものになりました。先週、先々週は吹き付ける風の冷たさに身を震わせながら作業をしていたので、その日々が懐かしくすら思えます。
春がそこまで来ているようです。

3月に入り、職場の従業員食堂に貼ってある特別メニューの掲示も変化しました。3日のひな祭りメニュー、まだ自分はここにいる。13日の限定メニュー、もうその時には自分はいない。あれだけ辞めたい、辞めたいと思っていた今のリゾバ先ですが、ふとした瞬間に「自分がいない」時間をリアルに想像させられると一抹の寂しさが湧き出てくるので戸惑います。

あたたかな春。新生活の春。
都内で始まる自分の大学院生活という新しい時間。
住む部屋も決まり、大学院の場所や建物内部の構造がわかっているからこそ、そこで動き出す時間への期待と不安が入り混じった妄想にリアリティがあります。

一方で、この1年住むうちに引っ越し直後にあった住みにくさに慣れた祖父母の家を離れることへの寂しさもあります。家に貼ってあり、その場で時を刻むだろうカレンダーのほとんどのマスに、自分はそこにいない。父は畑に出て、季節ごとの野菜や穀物を作るだろうけど、去年やったみたいな手伝いを自分がすることはおそらくない。

大人になると季節などの移ろいに気づきにくくなるといいますが、実際の季節の移ろい、心の中の季節の移ろい、どちらにも敏感でありたいと思う春の日です。

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