本は読者という船を大きく、また謙虚にしてくれる
昨日note記事で、本との関係を比喩してこんなことを書きました。
心がざわついたときの本は、真っ暗な夜の海の灯台に似ている。
一人だと思った心(船)を陸地へと導いてくれる。
安心できる陸にたどり着いた船は翌朝には明るい海へと、目指すべき地に向けて漕ぎ出せる。
記事を書いている最中に友人からオンライン飲み会の誘いがあり、
「note投稿と入浴が終わった後ならいいよ。その間にnoteでも読んで待ってて」
「了解」
といった趣旨のやり取りがありました。
そして無事に始まったオンライン飲み会。
友人が「いやーでも、船も大事だよね。タイタニックみたいな船じゃだめだ」と一言。
確かになぁと。納得をして、少し比喩の先を考えてみることに。
そこで思い至ったのが、本を灯台と限定せず、港町としたらどうかというアイデア。
灯台の明かりに従って真っ暗な海から港町へ上陸する。
そうするとそこは、世界中の色々な人や物、情報が集まる一大拠点。
酒場で飛び交う情報は玉石混合。
確実だという話もあれば、おとぎ話にしか聞こえないような武勇伝。
それでも話者が巧みだからもっともらしく聞こえてくる。
港町の劇場や映画館でも色々なことが聞こえてくる。
同時代を生きる英雄だけでなく、
既に伝説となった偉人たちもが情報を発し続ける。
そんな中から自分という船自体を大きくするのに役立つものを見極めて積んでいく。中にはどこかの街で高く売れる品も入っているかも。
今後行こうとする航路についての情報も集めて判断の基準にしたり。
特に大きな氷山の情報には注意深く耳を傾けて。
そうしてまた航海を始め、艱難辛苦を乗り越えて、次の港街へとたどり着く。
そこでまた情報を集めて、次の、次のと繰り返してく。
そうしてふとした時に、以前立ち寄った港町へ行ってみると前と変わらぬメンバーが出迎える。
その時は耳に入らなかったこと、納得できなかった老人の話がすっと自分の中にしみこんでくる。
そしていつかは、自分も語る側に。
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