知らないタイプの人に関わると大人になれる
こんにちは、ライアンです!
なんだかうん。世界から今一度自分自身を顧みろよ。と言われている気持ちです
僕の中での根本に近い価値観として、「世界は常に自分(たち)にメッセージを発している」というものがあります。
いいかえるとしたら、すべての出来事に意味がある。というのでしょうか。
その出来事に出会った瞬間はメチャメチャしんどかったりしても、後になって「あの時の○○が役立ったな」と思ったり。
あのことに悩んでいたけれど、こういうチャンスが目の前に来たからそっちに進んでみろってことか!と思ったり。
そういうことを大事にして僕は20年生きてきました。
今のところ、損とかはしていないし、むしろ恵まれた人生を歩めています。
という、introductionはここまでにして時間軸を”今”にします。
昨日今日しんどい
昨日と今日。めっちゃ精神的にしんどいことがドンドン起こります 笑
一周回って笑えて来た
・M2の先輩に4時間研究以外の人間性などについて詰められる
・来月主催するイベントに参加予定だった友人が続々と抜ける
・部活の後輩から謎な論理で唐突に4万円請求される
・サンプリングが上手くいかない
・忘れ物をして何回も家に戻る
・傘を忘れる
等々。
それらを乗り切った今だからこそ、これは2つのことを伝えようとしているのだと思っています。
1.世界には色々な人がいる。それらに翻弄されないための術を身に付けよ
2.現状よしと思っている勉強の仕方、生活の仕方を振りかえれ
特に1つ目が大きなテーマかなと思ってます。
その理由として、友人のnote投稿をキッカケに2つのnote記事に行きついたことが挙げられます。どちらもある一定の界隈では有名だった人がSNSを通じて人間の悪意に触れた話です。
知らないタイプの人に関わると大人になれる
その両方が、規模は違えど先輩の悪意にさらされた自分の境遇と重なるところがあり、他者の人間性について考えろよ~と言われている気がしたのです。
幸いにも、これまで関わってきた人の多くは非常に人間のできた徳の高い方たちばかりでした。
だからこそ、世界に悪意をもって人に関わる人がいることに実感が持てずにいました。
思い返すと、大学に入って以来。自分人間として成長できたなって思うときは必ず、(それまで気づいていなかった)他者の存在を認知して、その人たちがいる世界に自分を適合させた瞬間が多かったです。
例えば、大学入ってすぐにバイトを初めて「上司」という存在を実感をもって知りどのように接するべきか学び。
武者修行プログラムに参加をして、「外国人」としっかりと触れ合うことで彼らも同じ人間であるということを知り、「主体的に働く時のチームメイト」はただの友人ではないことを知り、それぞれとの接し方を学びました。
ただそこで出会った人すべてが善い人でした。
他者は自分と違うことを知り、それでも思いやりをもって接することができるような人たちです。(もしくは、僕が知っているのがその面だけという可能性もありますが)
だからこそ、自分のアップデートに専念できて大人に少し近づけました。
ただ、どうやら世間に出るとそういう人の方が少数派らしいということは実感はないものの、気づきつつあります。
そういう人の悪意や、自分が傷つく出来事に触れるとき、どうするべきか知り、また少し大人になりたいと思います。
頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。