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頭は心を満たすために使うもの

この記事は、吉田松陰の超訳名言集「覚悟の磨き方」から抜粋してコラムを書いています。

「頭と心の関係」

ご存知の通り、すべての人の心には善と悪が同居していて
その心がいいことも、悪いこともさせます。
では、”性善”というのはどんなものかといえば
それは万人に生まれつき備わっているものですが
やむにやまれず「いいことをしたい!」と思ったとき
そうさせる心、それが”性善”に間違いありません。

ですが、間髪入れずに湧き上がる
「名声が欲しいから」とか
「得をしたいから」といった欲望が「善」を邪魔してしまいます。
こういった欲望は、「善」を頭で考えるから、生まれてしまうのです。

この頭から生まれるものを、相手にさえしなければ、正義は実行できます。頭のために、心をすり減らすほど愚かなことはありません。
頭は心を満たすために使うものです。

「心から満足できる行い」にもっと敏感になりましょう。


頭のために、心をすり減らすほど愚かなことはありません。
頭は心を満たすために使うものです。
「心から満足できる行い」にもっと敏感になりましょう。

という最後の一文が刺さる。

私もずいぶん、頭のために心をすり減らしたなぁ。

~ねばならない、こうあるべきという思い込み
損得勘定
周りの人の目

頭=思考だけで動くことは、一瞬の満足感はあっても
心からの満足はない、と思う。

頭の声と、心の声

これを聞き分けるのには結構時間がかかった。
というかまだ完全には聞き分けれていない。

しかし、最近はこの質問を自分自身に問うことで分別することも多い。

「貰うも払うも全くお金が関係ないとして、それをやりたいかどうか」
「それをやらずに死ねるか」

やらずに生きて、何かの拍子にもう自分がそれをやることができなくなったとき、死ぬ間際になったとき、後悔はしたくない。

美味しいもの
仲間と分かち合う時間
子どもを抱きしめる瞬間

些細な日常の中にも、「心から満足できる行い」はたくさんある。


あなたの「心から満足できる行い」はなんですか?

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