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できないのではなく、ただやっていないだけ

この記事は、吉田松陰の超訳名言集「覚悟の磨き方」から抜粋してコラムを書いています。

「なんでもやってみる」

できないのではなくて、ただやっていないだけです。
まだやったことがないことを
「怖い」「面倒くさい」「不安だ」と思う感情は
過去の偏った経験が作り出す、ただの錯覚です。

実際にやってみれば、意外とうまくいくことのほうが多いのです。

グサ――――――ッ

(心に刺さる音)

はい。そうなんです。
やってないだけなんです(図星)

「怖い」「面倒くさい」「不安」

どの言葉も、これまでたくさん言い訳として使ってきました。

そうやって”できない”の前に
そもそも”やらない”選択をしていたんです。

だってそのほうが
楽だし、文句言われないし、お金も使わないし
でも、それらは”過去の偏った経験が作り出す、ただの錯覚”

そしてその錯覚たちを言い訳に、行動を起こしていなかっただけ。

ではこの、過去の偏った経験を覆すにはどうしたらいいのか?
私の体験をもとに綴ります。


あなたの予想はファンタジー

まず遡ること数年前、確かまだ長女が産まれる前のことです。

あるとき、東京で大好きなDanny Elfman(ダニーエルフマン)のコンサートがありました。
(ダニーエルフマンはバットマンやスパイダーマン、ティム・バートン監督の映画など多くの映画音楽を手掛けた方)

すごくすごく行きたかったのですが、公演日は年末に近く、うちの旦那さんは大型連休は必ず帰省と決まっていたため、行きたいと言えませんでした。

いや、正確には行きたいんだけどと軽く話したと思うんですが、旦那さんの反応も微妙で

「どうせだめだよね」とすぐに諦めてしまった。

帰省せずに、そっちに行きたいって言ったら
嫁が一緒に帰らないなんて、何か言われるんじゃないかとか
交通費も余分にかかるしとか
勝手に考えていたんです。

しかし数年してから、ちらっとそんなことあったなって旦那さんに話したとき

「行きたいなら行けばよかったやん」と言われ


( ゚Д゚)!!!!


そう、どうせダメだろうと決めつけ
行かない選択をしたのは紛れもない私だったのです。


過去の経験の錯覚。
起こってもないことを決めつけることは、もはやファンタジー。


変化を加える

そしてそれからさらに数年たったとき
なんとチャンスが巡ってきました。

前回と内容は違うけれど、東京でダニーエルフマンのコンサートが開催されると!

当時子どもは0歳5歳と2人いて、条件的には前回よりも尚厳しい
でも、これは行くしかない。

浮き足立って心踊るも、またここでひとつ問題発覚


三歳以下入場不可


コンサートだしね、そりゃそうだ。
これが近場なら、まだ子供を預けるのは容易だったけれど
場所は東京。

愛知に住む私はどうしようかとあれこれ考える。


これまでの私ならまた諦めていたかもしれない。


しかし、次に来日公演があったら必ず行くと心に誓っていた。
そのために不安と恐怖が入り混じりつつもと、とりあえず動いてみる。

まずは実家と旦那さんに伝える。
しかし下の子はほぼ完全母乳で、搾乳した哺乳瓶もあまり飲んでくれなかったがために、旦那さんと母には預かるのは無理だと却下された。

次に、東京の姉に武蔵野から都心に出てきてもらえないかと打診し
ここでなんとか成功。

最終的には下の子と二人、新幹線で上京し
無事コンサートを観覧
めでたしめでたしとなるわけですが


「やってみる」前にやるべきこと

私の場合、この一連の流れで「できない→できる」に変化した理由は至極小さなことでした。


まず「行きたい」と口に出すこと
そしてそのために「人にお願いをしてみる」ということ


私は過去の誤った錯覚から
そもそも口に出すことさえできていなかったのです。


「行動」とか、「やってみる」といわれると
現実的、物質的に自分が手や足を動かすイメージがあるけれど


その第一歩は、ほんの小さなもの。


「なんでもやってみる」


できない、という前にまだまだやれることはたくさんあるはずなのです。

気負わず、できることから一歩踏み出してみよう
改めてそう感じたできごとでした。


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