得体のしれない最強の敵である自分を脱いでみた

40代半ば。
凝り固まった、幼少期からの「自己防衛のくせからくるプライド」や、まだまだこんなものじゃないという、煮えたぎるマグマのような「やってやる感」。あふれるアイデア。


長年の思い込み。先入観。

先日、前からわたしをバッサバッサきっていく人から、最後の幹をきられた。

「……………」


私は捨てました。

はじめて、納得してしまったのです。
その、全否定に。


抵抗する気がはじめておきなかった。

……………    っ!!

しかし、
楽になったのです。

はじめて
楽に。

以前からの記事にも沢山でてきている
生きづらさ、苦しみ、焦り
なりやまない頭の声。二次障害。

鎧をぬいだ、という表現がまさにあう。

身体が、軽い?
身体と、心は連動するから
心も軽い。のだ。

幼少期からのデフォルトの苦しみが、
45年を経て、
少しづつはがれてきた。
カッチカチのりんご飴を、あらゆる歯を使って中のりんごにたどり着くまでカジガジやって、ヒビが入った時の達成感。
そこからは中のりんごを堪能するまでは割と速い。

達成感とともにしばらくりんごをかじりながら、今度はこう思う。

「あ、やっぱり外側の固い飴とりんごを一緒に食べるから美味しいんだ」と。

カッチコチのちょっとやそっとじゃ割れないようなりんご飴の外側を、ナイフやフォークを使わずに、歯だけでこじ開けようと四苦八苦する。

その作業があるから、中のりんごがさらに魅力を増すのかもしれない。


だとしたら、


私は、やっと飴が割れて一口かじりつけたりんご🍎。


はがれた鎧も愛しながら
両方を私の「私」として

少し身軽に

生きていけそうな

まだ、外の世界に慣れない

産まれたての仔馬のように


はじまったばかりです。





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