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見つかった自転車

そういえば、少し前に自転車が見つかった。なくしたと思っていて、なくなったことにもなんとなく納得してあまり探しもしなかったその自転車は、3年ぶりに偶然見つけたその自転車は、ボロボロに劣化していた。もうそれで到底走ることはできない。タイヤはぺちゃんこにパンクしていて、持ち手のグリップはベリベリに剥がれていて、サドルだって中の綿がふさふさとむき出しになっている。フレームは力を少し加えれば、ポキッとすぐに折れてしまいそうなほど錆び付いている。その自転車はもう、僕を載せることはできない

    • 変わったと思い込みたいもの、

      こころの動き。  日記にもつけなければ、言葉にもしようとしない。出来れば気づきたくもないような、でもなぜか大事なように思える、そんな感情になりかけた、なりかけて実を結ばなかった、あのささいな形を持たないもの、それを気持ちと言うのだろうか。   ずっと前から、実は心は何にも変わってない。時間だけが経過して、そんなことに目を向けられない、そんな現実的な段階になった。変わったことはそれだけ。現実は変わっていて、心だけ変わっていない。現実は変わっても心は変わらない。それでは、より確

      • 歩く速度で

         てくてくと歩いていく。気持ち誇らしげに。後輩の姿を認める。声をかけようかと思ったが、チャンスを逃してしまう。もっともチャンスと言ってもほとんど無かったのだけれど。気づけば自転車に乗った彼の後ろ姿は遥かかなただ。  小さいころからただダラダラと時間を潰すことができなかった。何かしらに集中していないと気が済まなくて、でもそうした熱中できるものは、潰すべき時間に比べて、日常生活のなかでは僅かしか見つからなかった。潰すべき時間は潰される手段を持たない僕によってただ持て余されるもの

        • 何もしない時間

          この頃、統合性が崩壊していて、文章をつながりよく書いていくことが難しい。文章を書いてみても、どうしても自由連想的で、脈絡がないものになってしまう。それでも書いたものなので、そんな文章でも良かったらめちゃくちゃ書いてるなーと思いながら読んでくれると嬉しいです。知り合いの人はぜひ感想ください。  最近、談話室で何もしない時間を過ごしていることが多い。ただコタツに突き刺さっていたり、ただボンヤリと人のゲーム画面を見ていたり、寝転がってひたすら疲れたーと叫んでいたり。  今日、先

          ねねちゃんは忙しい

          詳しいことは割愛するが、訳あって入院していた。  入院生活は、苦痛に苛まれている時間がなくなるにつれて、どんどん暇なものとなっていく。僕はそれをありありと実感した。苦痛に苛まれず、ただ平穏に過ごせる毎日が幸福であるという当然のこととともに、苦痛は喜ばしいものではないが、同時に暇を埋め合わせてくれる存在でもあるという不思議な感想を抱いた。  今は感染症対策で、面会全面禁止となっているところが多いが、平常時は(何が平常か最近分からなくなってきたが)、入院している家族や親戚、友

          ねねちゃんは忙しい

          歌の有効期限

           ふと頭のなかで再生されるあるテンポ。確実に聞いたことはあるけど、そしてある時、切に感銘を受けたはずなのに、なぜだか忘れてしまった曲。それを突然思い出す。特徴的なイントロで始まり、奏でられるその歌声は合成音だと気づく。その曲調、歌の雰囲気からアーティストが分かる。  片っ端からそのアーティストの曲のイントロをかけてみる。あれも違う、これも違う。繰り返すうちにたまに今の自分の心境に響く曲が僕の心に何かを訴えかけてくる。しかし、100パーセントではない。僕がさっきまで探し求め、

          歌の有効期限

          幸せって一体なんだろう? ー幸せについて考えている僕は幸せかー

           幸せ至上主義。「最後に幸せになりさえすればいい」「幸せになることが人生の目標だ」「幸せになりたい」「あなたのことを必ず幸せにします」  よく耳にする「幸せ」という言葉。僕にとっての幸せ、あなたにとっての幸せ、みんなの幸せ。「幸せ」とはいったい何なんだろう?  幸せについて僕の感じることをまとめてみた。 机上の空論ではあるがお時間があれば耳を貸してほしい。  まず、幸せについてよく誤解されていることが多いと感じる。なので、手始めにその点から持論を唱えていきたい。僕は皆さ

          幸せって一体なんだろう? ー幸せについて考えている僕は幸せかー

          論理と人からの評価

           最近、論理というものにとらわれすぎる。理屈や論理というものは完全でないということは十分理解したはずなのに、それにとらわれすぎて、もはや本当に自分の書きたいことがかけなくなってしまった。自分の言いたいことが言えなくなってしまった。僕が今書いている、この文章も例外ではない。文章というものは、相手に伝えることを一つの目的としているのだから、相手が分かりやすいよう、論理的に記述されなければならない。それはそうなのだが、文章のそういった性質が、僕の本当に伝えたいこと、書きたいことの出

          論理と人からの評価