変わったと思い込みたいもの、

こころの動き。

 日記にもつけなければ、言葉にもしようとしない。出来れば気づきたくもないような、でもなぜか大事なように思える、そんな感情になりかけた、なりかけて実を結ばなかった、あのささいな形を持たないもの、それを気持ちと言うのだろうか。
 
ずっと前から、実は心は何にも変わってない。時間だけが経過して、そんなことに目を向けられない、そんな現実的な段階になった。変わったことはそれだけ。現実は変わっていて、心だけ変わっていない。現実は変わっても心は変わらない。それでは、より確かなものはどちらなのだろう。

 大人になったと思うのは、矛盾するささいなそうしてものを気に掛けなくなったからだろうか、気にしないようにと気にして、はじめ徒労に終わっていたそうした努力が身を結びはじめたからだろうか。ささいな、それでも大切なものを見つめないように、見つからないように努力してきたのだとしたら、僕はどうしてそんなことにエネルギーを使ったのだろう。
 情緒を少しずつ殺していって、まわりにあわせるだけ、周りに合うように自分を変えることが果たして僕たちのやりたいことだったのだろうか。

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