ねねちゃんは忙しい

詳しいことは割愛するが、訳あって入院していた。

 入院生活は、苦痛に苛まれている時間がなくなるにつれて、どんどん暇なものとなっていく。僕はそれをありありと実感した。苦痛に苛まれず、ただ平穏に過ごせる毎日が幸福であるという当然のこととともに、苦痛は喜ばしいものではないが、同時に暇を埋め合わせてくれる存在でもあるという不思議な感想を抱いた。

 今は感染症対策で、面会全面禁止となっているところが多いが、平常時は(何が平常か最近分からなくなってきたが)、入院している家族や親戚、友達がいて、彼らが面会可能な状態にまで回復したのであれば、訪れてあげるのが良いだろう。きっと誰であっても歓迎するし、親しい仲であればそれはなおさらだろう。

 さて、暇をあまりにももて余すと、「暇」そのものについて考えるようになる。「暇」そのものと言っても、「暇」の概念や定義、イデアについて取り扱う訳ではない。僕はそうした論理学的な演繹、形而上学的な思考をどちらかというと苦手としている。では、何をよく考えるのかというと、「暇」というものの具象についてだ。換言すれば、自分の「暇」というものにおける過去や経験を思い出し、そこから「暇」というものについて思い巡らすということになるのかもしれない。

 小さい頃というものは間違いなく暇である。やるべきこととして定められているのは食べることと、寝ること、そして排泄すること、お風呂に入ることぐらいでそれ以外の時間は基本的に何に使ってもよい。でも、小さい頃に「暇だなあ」と感じたという話を僕は聞いたことがない。小さな頃、世界は新鮮さという輝きで満ち溢れているから退屈することがないのだろう。しかし、次第に人は慣れてつまらなくなっていく。そして新しいものに飛びつく。興味分野が拡大したのだから、論理的に考えれば、忙しくなるはずなのだが、現実は全く逆で、どんどん「暇」になっていく。


 小さい頃おままごとはとても楽しかった。しかし、おままごとをして遊ぶ大人を見たことがない。末永くずっと楽しみ続けるということにつけて人には限界があるのかもしれない。ねねちゃんは大人になってもおままごとを続けるのだろうか。やめるとしたら、いくつでやめるのだろう。クレヨンしんちゃんでねねちゃんを見かけたとき、条件反射的にそう思ってしまう。

 今までのところ僕の人生は、ねねちゃんより暇だったのではないかと思う。いちばん暇だったのは、多くの人と対照的になるかもしれないが、中高時代である。中高一貫校で高校受検はなかったし、部活も全くハードなものではなかったので、授業を受ける時間以外は暇だったと言っても過言でない。習い事も中学はテニス、高校は塾にしか行ってなかったし、友達とどこかに行って遊ぶということも少なかった。趣味や好きなことも無いわけではないが明確にこれというものは大して無かったし、親や学校から何を課せられる訳でもなく放任されていた。こうやって書くと本当に暇だったんだと思う。
その膨大な時間に僕は何をしていたのだろう。膨大な「暇」をどうやって潰していたのだろう。よく思い出してみる。

 大半は、具体抽象問わず様々な身の回りのことを考えることに費やしていた。しかし、それは暇潰しとして行われるとりとめのないもので、何か結論へと至るものでもないし、重大な発見をもたらすものでもなかった。記録さえ残さなかった。だから哲学でも、思想でもなく、ただの考え事なのだ。
具体的に何を考えていたのかということについて僕はほとんど忘れてしまったが、多くは感傷に浸る考え事だったような気がする。すなわち最後の結論として「ああ、これはこういうことなのかもしれない。」「これはこういう面でなんて美しいのだろう。」「この人はこういう点でとても素晴らしい/かわいそうな人なのだ。」とかで終わるものだ。最後に何か心が動かされ、そのことで満足して終わる思考だ。そういう点で考え事とすら言えないのかもしれない。芸術的感傷と言うと、芸術でもないし、そもそもその頃、僕は一切芸術に興味が無かった。
その芸術抜きの芸術的感傷に僕は長らく浸かっていたような気がする。その湯の薬効かは分からないが、受検勉強で忙しくなっても、また大学に入学して、比較的忙しくなっても、その習慣は抜けなかった。必ずどこかで、ものごとに含まれる美しさや悲しさ、人の美しさと汚さ、時間の有限性と無限性などをリンクさせてものを見ている。そういう自分の物事に対する姿勢、一種の耽美主義が暇から生まれたものなのだと気づいたときは自分でも驚き呆れたものだ。
いま大学生の夏休みも終わりにさしかかり、同じように暇をもて余している。その暇を生かすも殺すもその人次第なのであろうが、芸術抜きの芸術的感傷に浸りがちな人を、「暇」はいったいどこに運んでくれるのだろう。

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