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「しあわせ」とはなんなのか(前編)


現在シリーズで書いている、自殺未遂の後私は考えた。
たぶん私は幸せじゃなかったから死にたかった。

理想の幸せ

さて、あなたの描く理想の幸せとは何だろう?

性別や年齢などで各々思い描く幸せは違うと思う。
ここでは現在アラサー女子の私の話をしよう。

仕事も忙しいなりにそこそこ順調で後輩が出来たり、そろそろこの先や次のキャリアを考えたりする。
週末は趣味を楽しんだり、デートにいそしむ。
周りの友人がそろそろ結婚や出産をしていて、そこそこの容姿でそこそこの年収の彼氏とそこそこ長く付き合ってそろそろ結婚とか意識しだすかもしれない。
美容にもぬかりなく、ネイルやエステ、デパートの化粧品売り場をうろうろし、そろそろ自分に似合うものもわかってくるのでメイクやファッションのことを考えるのも楽しい。
友人や彼氏とたまに贅沢なご飯を食べるのもいい。

でも、それって本当にあなたの幸せですか?

こんなことを聞かれると不安になると思うし、それが幸せに決まってんだろ!という声が聞こえてきそうだ。
私もそれが幸せだと思っていた。だから目指した。

実際に幸せになってみた

時はちょっとさかのぼり、私が自殺未遂を起こす前である。
結構さかのぼると思ってほしい。20代前半まで遡る。

ばんぎゃるちゃんを謳歌していたが、追っていたバンドは解散してしまった。
それまで私はそのバンドを追うための金が欲しくてキャバクラで働いていたのだが、バンドの解散をきっかけに現実に戻った
自分の将来を考えはじめ、お昼の普通のお仕事をしなくてはと思い、就活をした。

そして何社か落ちたりもしたが、なぜだか運よくそこそこの企業に受かった。ホワイトで残業もたまにはあるが、まぁほぼないと言っていい。服装見た目自由、ネイルピアスおしゃれもし放題。最高。

正直にいうが学歴はない。それまでの職歴も学生時代に経験した全部のアルバイトの期間をそれぞれめちゃくちゃ延ばし、嘘盛りだくさんで履歴書や職務経歴書は書いていた。
本当に運だけで受かったと言っていいと思う。

そしてそこからはとんとん拍子である。
そのそこそこの会社の同僚とたまに飲みに行ったりもした。
そこそこの会社で適当に愛想を振りまいていたら社内に恋人も出来た。
おしゃれも美容も楽しんだ。
学生時代の結婚の早い友人の結婚式にも自信を持って参加できた。
キラキラ女子の誕生である。

一応当時の彼の名誉のために言っておくが、彼はいい人であった。
メンヘラだというと悪い男に引っかかったと思われがちなのは納得がいかない。
浮気なんてなかったし、お酒もたばこもやらないし、部屋はすごく綺麗だった。私なんかと付き合いたがるくらいの人なのでモッテモテのタイプではなかったが、普通にちゃんと結婚したりして幸せになるタイプだと思う。
そこから色々あって骨皮筋子のがりがりで入院しても見捨てず、週末はお見舞いに来てくれるくらいいい人だった。
ダメ女に引っ掛けてごめん、と謝るべきは私の方である。

だが、私はちっとも幸せじゃなかったのだ

世間から見たら幸せだったと思う。
私も端から見たら幸せな人だと思ったと思う。

でもその実態は、とても無理をしていた。
たぶん身の丈に合わない「幸せ」だったのだ。

まず、朝起きて寝る。私にとってはこれが結構しんどかった。
超絶夜型人間なので、夜更かしはいくらでも出来るのだが早く寝るは出来ない。
就職するまでは学生時代も含め昼夜逆転に近い生活をしていた。
(近いというのは眠くなったら寝ていたので、生活リズムが固定出来なかったからだ。毎日ちょっとずつズレてたまに超健康的な時間に寝て起きたりもあった)

そしてずっと摂食障害であった。それまでに過食拒食を繰り返し、この期間は主に過食嘔吐である。
食べないなら食べないでいられるのだが、食べたら吐けるまで食べるというのが常態化していた。

そして心の支えであったバンドの解散である。

結論から言うと、私には普通の幸せを演じることが出来なかった
毎日ちょっとずつちょっとずつ無理をしていた
具体的に言うと、朝7時に起きて、仕事に行き、帰りに過食材を買い、家に帰って過食嘔吐して、寝るのは早くても朝方3時過ぎだった。
常に睡眠不足だった。

そして普通の人を演じるには食の問題は軽視できない。
会社に行けば同僚や先輩とランチに行かざるをえない。
デートをすれば必ず食事もついてくる。
平日のランチはまだ諦めはついたが、デートをして彼氏の家に泊まるなんて日にゃ早く帰って過食嘔吐したくて仕方がなくなっていた。
事実毎週末彼氏の家に泊まっていたが、日曜の夜に家に送り届けてもらった後、大抵朝5時過ぎまで過食嘔吐していたせいで月曜はほとんど寝ずに仕事をしていた。

ひとつ言うと仕事自体は割と好きだった。
人間関係も普通だったと思う。みんな適度に仲良く適度に無関心だった。
出勤するまでは憂鬱だったが行ってしまえばあとはどうにでもなるのが人間なのだ。

本当にちょっとずつちょっとずつである。
就職してから2年ほどをかけてバランスを崩していった。

私が社会不適合なのは間違いないと思う。甘えだと言われたら否定できない。
たぶんこの端から見たら幸せの状態で、本当に幸せな人もいっぱいいる。

でも、私にとっての幸せはこれじゃなかった。

気づいたときにはもう遅い

徐々に徐々におかしくなった私は寝るためにメンタルクリニックの門扉を叩いた。

今でこそわかるが、睡眠の問題も、摂食ももうとっくの昔に常態化していてもう私にとってはあるのが日常だった。

そこから2ヵ月くらいかけて骨皮筋子になる。一番細いときは35キロだった。160センチ35キロはわりかしミイラだ。
痩せるとますます寝れない。寝るのにも体力がいることを体感する。
倍量飲んでも寝れないし、当然倍量飲んでいれば薬も足りなくなるので病院の梯子もしていた。完全に眠剤屋さん扱いである。

そのうちに様子がおかしいのがばれた。
彼氏がいい病院を探してくれて、入院を勧められた。
それが例の任意で入った綺麗な病院である。
彼氏には摂食であることは言っていなかった。ただのストレスうつで痩せ、重度の寝れない人だと思われていたと思う。
気づいていたけど言わない優しさかもしれないがもうわからない。
正直彼氏も病院もうざいと思っていたが、わりと自分もしんどかったので1か月ほど休職して入院した。

今になって思うが、もうこの時は死ぬ計画が始まっていたのだと思う。
自暴自棄に差額のかかる個室に入り散財した。
1日2万、それが1ヵ月。今思うとなにやってるんだと思うが当時の私にはそれが払える経済力があった。信じられん。

まぁそこで適度にだらだらしつつ、適当に休んだ。
一応入院している間はお菓子くらいしか吐いていないし、3食見た目も味もおいしい料理が自動で出てくるので1か月で5キロほど体重を戻し、退院した。
そして仕事もすぐ復帰した。
が、そこから1か月ほどで辞表を出した。急に「ああ、なんかもう無理かも」と思ったのだ。
そこからの仕事を辞めるまでの期間は人間としての生活を放棄していた。
洗濯をさぼりすぎて仕事に着ていく服がなくなって、次の日着る服を帰り道に買ったこともあった。うけるw

仕事を辞めた私は1週間ほど彼氏の家に泊まってお世話をされていた。
無気力なので当然家事の類も全部彼氏任せだった。
短期間だったがなんかそれも嫌になって彼氏に別れを告げた。ちょっと揉めたが綺麗に別れた。
そしてその後の自殺未遂である。

私の幸せとはなんなのか

例の地獄から退院したあともしばらくは何が幸せかわからなかった。

なんか不幸だと思いながらだらだら生きていた。

後にまた別の記事で書くつもりだが、ちょっとした出会いに恵まれ今の死なない程度にだらだらしように辿り着いた。
普通の幸せは私には合わなかった。ただそれだけだ。

今の私はたぶん端から見たら幸せではないと思う。
お金もないし、無職に毛が生えたようなもんなので、当然将来性もない。
彼氏もいない。友達もいない。とうの昔に親や兄弟は捨てた。
焼き肉が食べたいが、一緒に行く相手がいないので行けないくらいにはぼっちだ。
しかし、摂食は治った。治ったら太った。もう完全に縦も横も普通サイズのモブだ。

でも、確実にあの頃より幸せだと思う


後編に続く(´・ω・`)


社会に貢献します、とか偉そうなことはいいません。貰ったらハーゲンダッツを食べたりヒトカラしたり、いっぱい貰ったら新しいパソコンを買ったりして「私が」幸せになります。