見出し画像

死にたい人への処方箋④


Twitterにも書いたが、朝電車を1本逃した。
都内の朝の電車なんて1本逃したところで2,3分後には次の電車が来るので大したお問題はないのであるが、その暇な2,3分に今後noteに書きたいことをスマホのメモ機能を使って書き出したら13個も出てきてしまった。

3日坊主では終わらなそうなのが幸いだが、私は長文製造機なのだ。
要点を抑えて短くまとめることが出来る人はすごいと思う。
長文製造機の一番の敵は時間だ。5分ほどでちょちょっとなんて書けないのである。

さて、前回からの続き。

一般閉鎖病棟

保護室で常時開錠になると、次は看護師さんにいうと保護室ではない一般閉鎖病棟のホールに出られるようになる。

それまでの言動や症状にもよるだろうが、たぶんここまで来るとそこそこ医者の信頼を勝ち取れていると思う。
あとはいかにそれを裏切らないかが退院への鍵だ。

ホールというのはテーブルと椅子がいっぱい並んでいて、患者さんが自由にお話したり、ご飯を食べるところである。
あとはテレビが置いてあったり、本や新聞も置いてあったりもする。
ほとんど開かないが窓もある。病棟内では比較的日当たりがよくて明るい。
日中はここで作業療法といって折り紙や絵を描いたりする自由参加の訓練?を行っていたりもする。私は退院まで1度も参加しなかったので詳細はわからない。1度カラオケ大会みたいなものを見かけた。

ホールに出られるようになると、看護師さんに週に1回お菓子やアイスを買ってきてもらえるようになる。
お菓子と値段一覧表みたいなものを渡され、〇をつけて提出する。
それを毎日おやつの時間になるとホールで食べられる。
こうやって徐々にお金の管理とか食べ過ぎない自制心とかの訓練をするんだと思う。ちなみにお菓子等もちょっとぼったくり価格だ。
チョコパイ6個入(500円)とスーパーカップ(150円)を2つ頼んだ。

そして面会などもここらしい。一度だけおやつの時間帯におばさんに旦那さんらしき人が面会に来ているのを見かけた。
入院患者じゃない人は普通の服を着ていて、首にカードをぶら下げているのですぐわかる。
お菓子をいっぱい持ってきてもらっていて、会話は成立していなかったがなんだかおばさんは嬉しそうだったし、旦那さんらしき人はきっとよき理解者なのだと思う。ほっこりした。

閉鎖病棟の人たち

病院にもよるだろうが、老人が多かったが若い人もちらほらいた。
老人は認知症のような人や車椅子に乗っているような人が多く、全体的に元気がない感じがした。
テレビを見にホールに来ている人も多かったが、老人同士でもあまりおしゃべりはしないらしい。看護師さんが話しかけたら答える程度。

子供はいなかったが、10代後半くらいの私より若い人も何人かは見かけた。ホールで聞こえてくる話し声はほとんどがこの若い子たちのものだった。
みんな痩せてはいるが、摂食感はなかった。スレンダーである。顔は眼鏡がないのでよくわからないが、雰囲気はかわいい感じがした。
若い子はそもそも数が少ないので大抵一塊になっていたが、聞こえてくる会話からはスクールカーストに似たものを感じる。働きアリの法則のようだった。
風呂の日も1番風呂を目指して早くから並んでいたのは彼女らであった。

ある女の子は親に捨てられたらしい。迎えに来てくれないから出られないと愚痴っていた。最終日に脱走を企てているといった内容が聞こえてきたが、その後どうなったかはわからない。

彼女ら以外でおしゃべりをしているのは、若い人も年寄りもほとんどが独り言だった。
たぶん私には見えない相手がいるのだと思う。
ホールに来れるような人は比較的症状が落ち着いている方の人なのか大声を出したり激昂していたりはなく、ボソボソと喋っているのであるが、怒ったり悲しんだりしている内容がほとんどであった。

保護室か一般閉鎖か

ホールに出られるようになって2日ほどで、一般閉鎖に移るか聞かれた。
一般閉鎖に移ると看護師さんに声を掛けなくても病棟内は自由に歩けるようになる。ホールまでいけば水もお茶も自由に飲み放題。
カメラでの監視もなくなるし、トイレは廊下にあるちゃんと壁のあるトイレになる。

しかし同室になるのは、結局は中の人たちである。あまりいい言い方ではないが。
大部屋に行くと一日中、それこそ寝ているとき以外は独り言を話していたり、認知症だったりするわけで、大部屋でそういった人たちと同じ環境で過ごせる自信はなかった。
隣でずっとぶつぶつ言われてたら頭がおかしくなりそうだ。

ここで一般閉鎖の個室を選ぶことも出来るが、個室を選ぶと差額ベッド代というものがかかる。1日あたりいくらかは病院と部屋のグレードによる。
入院してたくもないのに余計なお金を払うのは癪だった。
保護室は個室だけど、病院が強制的に入れるので差額ベッド代は発生しない。

そのころにはお水ください男もあんまり頻繁にお水くださいしていなかったし、大部屋よりは個室がよかったので保護室のままを選んだ。
もちろんこれは保護室に空きがあって、次に保護室で受け入れる患者がいないからこそできる選択だ。
私は下半身のプライバシーと引き換えに静かさを選んだ。もう既に何度も見られているのである。しらん。

娑婆の人間に戻るまで

一般閉鎖に移るか聞かれた次の日の診察で、このまま問題を起こさなければ最短でいつ退院が出来るのか聞く。
本当はそこから1週間から10日という話であったのだが、私は5日後にある資格の試験に申し込んでいたことを利用してごねた。

その場にいた看護師さん(たぶん大ベテランの気の強そうなおばさん)を上手く巻き込み、「たぶんあなたは気が強そうだから、一度決めたらやらないわよね」というアシストを引き出す。
病棟の看護師でありながら白衣の上にピンクのカーディガンを着ている人だった(大抵は黒か紺)。

ぎりぎり試験に間に合うように、4日まで短縮することに成功する。
本当はその資格の試験に申し込んだことも忘れていたのだが。

退院の日取りが決まるとそこからは結構早かった。
退院後に訪問看護師をつけることが退院の条件だったので、ケースワーカーさんに訪問看護の事業所に連絡してもらって訪問看護の人が契約に来る日取りを決めたり、今後受けられる支援一覧みたいな紙を渡されその説明を聞いたりした。
正直なところあんまりよくわからなかった。かろうじて高額療養費と障害年金の説明だけなんとなくくらいのレベルで聞いてメモした。
たぶんメンヘラにそれを考えて行動するのは無理
変なところで出てくる自己決定権。

閉鎖病棟の個室

退院の2日前の夕方に、どうやら保護室に新患を受け入れることになったらしい。
私はもう退院の日取りが決まっているレベルの患者である。保護室から出されるのは必然的に私だ。

運のいいことに、大部屋はいっぱいになっていた。
病院都合で個室に入れてもらえることになった。
病院都合だと、個室でも差額ベッド代はかからない。ラッキー。
退院の2日前の夜から、前日、当日の約3日は個室で過ごした。

個室といっても簡素なもので、普通の病院っぽいベッドと服等を入れて置ける引き出しと、洗面所がついているだけの部屋である。

退院当日

退院当日は朝ご飯を食べ、昼前には退院時処方のお薬と退院後通う病院宛と訪問看護宛の紹介状もらって退院する。

会計はやっぱりそれなりの額になった。カードで支払った。
後日高額療養費の払い戻しの申請はしたが、やっぱり結構痛め。

救急隊の人は靴(ベランダ用クロックス)は持ってきてくれていたが上着までは持ってきてくれていなかったので、救急搬送時に着ていた服とクロックスで帰った。私物は財布とスマホと家の鍵のみだ。
当然2月なので寒いし、寒そうな服でバスや電車に乗って帰ったので視線もそこそこ痛かった。

以上で私の地獄の入院は終わるが、このシリーズはまだもう少し続く。
次回以降はちょっとしたその後の話と、今死にたい人へのお話だ。

おまけ

ここまでに書けなかったこと、書き忘れたことを書こうと思う。

まず、私を通報したのはお隣さんであった。どっちのお隣さんかまでは教えてもらっていない。
そして意識がなくとも救急隊の人は部屋から財布とスマホと家の鍵くらいは一緒に持ってきてくれるらしい。じゃないと支払とか出来ないからね。部屋の施錠もしてあった。親切。

病棟では入院着といって、首がつれなそうな服が貸し出される。
私は持って行ってないので無関係だが、普通のパジャマや洋服も医者の許可があれば着れるが、紐がついていたりするものは危険物扱いなので着れない。
お風呂に入るときのタオル類は都度有料で貸出がある。売店でも一応売っている。
書き忘れていたがパンツだけは買った。拘束が終わると同時にオムツからパンツに進化は済んでいる。ただしこれも医者の許可がいる
たかがパンツ、されどパンツ。

それから閉鎖病棟はなんとなくだが長く入院している人が多そうな雰囲気であった。
たぶん未成年や同居人がいる場合は、医療保護入院といって親や同居人などの同意で入院させられ、自己決定権がないので、女の子が言っていた通り親に入れられているのだと思う。
退院も自分の意志ではなく、入院させることを決めた親や同居人の同意がないと出来ないのだ。
なんだか日本社会の闇を感じる場面である。


今回はここまで、また次の機会に(´・ω・`)





社会に貢献します、とか偉そうなことはいいません。貰ったらハーゲンダッツを食べたりヒトカラしたり、いっぱい貰ったら新しいパソコンを買ったりして「私が」幸せになります。