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変わるものを考え、変わらないものを考えた

ブルガリアに来てから、”今“という瞬間の尊さに気づいた。

同時に、時間というのは自分を含めるすべてのものを変えていくんだ、ということを悟り、恐怖に似た何かを覚えた。

留学期間が残り僅かになり、一日一日の重みを実感していること。

反対に、留学を始めた頃の自分を振り返り、たった数ヶ月の間に自分がかなり変わっていることに気が付いたこと。

「時」の有限性を感じる理由はたくさんあるが、一番の理由は「色んな人との別れ」を経験したことだと思っている。

また会う日まで

ブルガリアに来てから、多くの人にさようならを言っている。

その度に、「次に会う時は、日本かもしれないね」なんて言いながら、「とりあえず」のさようならをしている。

「とりあえず」になるのは、心から再会を願っているし、そのつもりだからだ。

しかし、つい最近、「次に皆んなと再会するときの自分は、“今”の自分じゃないんだ」と考えるようになった。

社会人になっているかもしれないし(高確率で)、ひょっとしたら結婚しているかもしれない。

仕事をバリバリこなしているかもしれないし、もう何もかもが嫌になっているかもしれない。

どうなっているかなんて分からないけれど、ただ一つ確実なことは「今の自分とは違っている」ということだ。

変わるのは当然自分だけじゃない。
「みんなも変わっていく」これもまた確実だ。

この考えに至った時、率直な言葉を使うと「恐怖」を感じた。

「今が消えていくことにおじけ付いている」自分がいたんだろう。

「別れは本のページを進めること」

つい先日行ってきたトルコでも、大切な友人と「とりあえずのさようなら」をした。

そして、ソフィアに帰国してからも「人との別れをすることの辛さ」と、「変わっていくことへの怖さ」にあれこれ頭を巡らせて恐怖していた。

そこで、ある一人のブルガリア人の友人に話してみた。

「別れが辛いとき、そして次に皆んなと再会するときのことを想像すると急に時間が過ぎていくのが怖く感じるんだ」という気持ちを。

そのときに友人がくれた言葉が、自分の心に強く響いたのでここに記したいと思う。

人と別れるということは「本のページを捲って次に進めること」なんだよ。
ページを捲ることで、物語は進む。
そして、それぞれの、一枚一枚のページが物語を創っている。
だから、一つ一つの瞬間と別れは自分の人生を進める上で必要なもの。

物語には、悲しいこともあるし嬉しいこともある。
その度に、好きなだけ悲しめばいいし、笑えば良いんだよ。

そうか、変わっていくことはページをめくって物語を進めていくことなんだ。

そして、「私の本」は物語に彩りを与えてくれた人たちに出逢い、お別れをしたことでたくさんのページを増やしているんだ。

自分自身、そしてすべてのことはやっぱり確実に変わっていくだろう。
けれど、それは「今」みえている物事の消滅を意味する訳じゃない。

この「今」は確かに、自分のページの一部として変わらずにずっと残り続けるんだ。

そう考えると、ページを進めることに対する恐怖心を持つ自分は、もういなくなっていた。

「いつかまた出逢える日」がきた時には、皆んなに、私の分厚くなったページを感じてもらえるような、そんな自分でありたいと思う今日この頃だ。

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