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「差別や苦労が起こることが当たり前」とされる社会において、それを受け入れ生き抜いていくためにはどうしたらいいのか?

今回のお題は、NPOでの活動中に、とある話し合いから生まれたものである。

人生長く生きていれば色々なことがあると思う。
人によっては、とんでもない差別や理不尽に遭うこともあるだろう。

こうした出来事に対して本人が遭う/遭わないで済むかは、ある意味「運」だと思うのだが、遭ってしまった場合、心や身体にダメージを受けることが多い。

不幸な経験自体は大小様々だろうが、そうしたものを経験する中で、「あなたはこれまでどうやって受け入れながら生きてきたのか?」ということを問われた。

当時は口頭だったので、思い浮かんだ答えを口にしたと思う。
そしてもう一度落ち着いて考えた結果、以下のことにまとまった。

自分の場合

世の中の数々の出来事から来る影響に対して”ぶれない”ためには、「自分」というものをしっかり持っていなければならないと思う。

その「自分」というものを支えるには3つの要素があると考えた。(これはあくまで私個人の経験を通した事例である)

1、悩みを共有できる仲間の存在を認識していたこと

2、心を落ち着けることのできる環境を確保していること

3、たとえ今持っている大事な何かを失ったとしても、その後も生きていくための自信や経験、根拠を持っていること

それぞれ個別に解説する。


1、仲間の存在


SNSなどを通して同じ悩みを持っていた者同士で出会い、交流を深めることができた。

結果として、あの人が頑張っているのだから自分も頑張ろうと己を励ます材料に使えたことは大きい。(逆に、あの人と比べて自分は駄目だと落ち込むこともあるだろうが)

孤独を感じつつ、一人で生きていくことは大変だと思う。

幸い、私は彼らと知り合えたことで、サバイバー(生き残り)としての強い仲間意識を持つことができた。

孤独感の解消と共に、依存ではない共存関係の大事さを認識できたことはとても良かったと感じている。


2、冷静になれる環境


悩みの最中は、冷静でいられることの方が少ない。

悩み事が己の中で解決すべき第1のものとなり、他に目を向けたいことに対して集中できなくなってしまうということがしばしばあった。

だから、心を落ち着けて整理できる場所を持っていることは重要なことである。


条件としては、極力悩みから離れられる場所かつ、一人で落ち着いて考えられる環境といったことが挙げられる。

一人暮らしが手っ取り早いだろうが、それが難しいなら自然の多いところなどに行くのはどうだろうか?

ベタな話だが、当時自分が住んでいた街は海が近い街だったので、何か面倒な気分にあった時は、毎回海を見に行っていた。

今でも何かあれば、自然を感じられる場所によく足が進むので、こういった自分の居場所というものをいくつも見つけておくは大事かと思う。


付け加えるなら、自分の中と向き合う時間もそれなりに取った方がいいだろう。

あまり向き合い過ぎると答えが煮詰まってしまうだろうが、己に問い、納得して答えを出すという行為を繰り返したことで、「確かな自分」というものを作り上げていく実感を持てたのではないかと思う。


3、自信・経験・根拠


個人的にはここが一番重要な部分だと感じている。

自分の未来を正確に予測できる人はいないだろう。突然起こる危機に対して、常に完璧に対処できる準備をしておくことは難しい。

だからこそ、ある程度余裕を持っていられることが重要であり、その余裕こそが、過去からの経験や出来事によって裏打ちされた自信や根拠になるのだと思う。

学生時代にバイトしてお金を稼いだ経験は、一つの根拠となるだろうし、「今の生活が駄目になったとしても、最悪あの状態でぎりぎり生きていくことはできるだろう」という自信に繋がったことは確かである。

そういった自信や手段は、自らの経験によってしか学ぶことはできないと思うので、どんなことであれ小さなことから一つ一つ始めてみることが大事ではないかと思う。


まとめ

結果的に、色々右往左往しつつも1~3のものを持つことができたので、一番大変だった時期を乗り越えることができたのではないかと感じている。

今回挙げた項目は、割とどんな人にも共通する点が含まれているのではないかと思う。

あなただったらどんなものが挙げられるだろうか?

ぜひ今度聞かせてもらったら幸いである。


追記

ここまで書いてきたことと真逆なことを言うが(苦笑)、あえて受け入れないという生き方もありだと思う。

その場合、世界のルールを作り直し、自らが考えたルールを新しい世界のルールとするのだ。

当然、それを適応させるためには大変な苦労が伴う。

だが、かつてより世界を変えてきた人間たちというものは、そのように今ある常識を疑うことから歩みを始めたのではないかと思う。

常識に囚われるのではない、自分なりの生き方をいうものを堂々と発信できることを願っている。

何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。