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大学生活-なんのために勉強する?

私の大学生活は薄っぺらいものだった。サークルにも入らず、ろくに友達もおらず、授業と自宅を行き来するだけの毎日だった。
でも、だからこそ、大学生活の一番の思い出は、と聞かれると「勉強」と答える。

子どものころから勉強が好きだった。知らないことを知るのが、わからないことを理解して「ああ~!なるほど!」となるのが好きだった。

しかし、私が進学した高校は大学受験のための勉強ばかり。学問の楽しさも、知ることの面白さもない、ただ受験に必要な範囲の理屈とテクニックを身に着けさせるだけの授業。楽しくなかった。勉強が嫌いになりかけた。

私がやりたいのは「手段」としての勉強ではなく、学ぶことそのものが「目的」の勉強だった。
だから、就職に有利とかそういう理屈を抜きにして、「自分が勉強したいこと」ができる学部を選んで、進学した。

確かに、就職には不利だった。心無いことも言われた。
「なんのためにこの学部に入ったの?」と同じ学部の友達に言われたし、就活中には「その勉強やる意味ある?」と面接官になじられた。

それでも、私の大学生活の一番の思い出は勉強だ。

同じ専攻の同級生は十数人。その学問を使った専門職を志す人、直接関係ないが仕事に活かしたい人、私のように興味関心から専攻している人と様々だったが、みんながその学問に対して興味を持っていた。

グループワークはもちろん、講義形式の授業でも、いつも誰かがしゃべっていた。一人が素朴な疑問を投げかけると、みんなで笑い、その答えについて話し合った。大した勉強はしていないが、「やりたいことを学ぶ」という過程そのものが楽しかったし、みんなも同じ思いを持って勉強していた。

ゼミに所属して、数人の学生と教授とでよく話した。それぞれが卒論でやりたいテーマについて発表し、そこからいろいろ話し合う。よく自分の人生を振り返った。学校生活、家庭のこと、将来のこと。話は脱線しつつも、学問として、また自分の考え方として、一歩一歩進んでいたと思う。

なんのために勉強するのか。
スポーツや趣味は「楽しいから」「やりたいから」で通じるのに、勉強に関しては、「受験のため」「就職に有利だから」と、「手段」として見られがちなように感じる。

興味のあることを追求するのは全く悪くないことだと私は思う。それが日常生活に活かされなくても、理解した知識や勉強した経験は消えないし、自分の中に蓄積され続ける。自分の人生を豊かにする。そういう点で、勉強はスポーツや趣味と何も変わらない。場合によっては、ほかの誰かに対する理解も深まると思う。

「その勉強やる意味あった?」とまた聞かれたら、私は躊躇なく「あった」と答えたい。
大学時代の勉強は、自分にとってかけがえのない経験だ。それが日常生活で使えなくても、学びは自分の中にあるのだから。


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