「ネオ・家事手伝い」の発生

最近、「実家で暮らしていて定職についていない20代」を見かけることが増えてきた。

私自身の身の回りだけではなく、周りから「こういう知り合いがいて〜」という話題にもよく登場するので、局地的なブームではなさそう…というのが私の印象だ。


彼らが、いわゆる「引きこもり」と違う印象を与える理由は、仕事を辞めて家にいる理由が、母親からの助言や、明確に言葉にされていなくても「無理する位なら、辞めて家にいたらいいんじゃない?」という雰囲気の下、現在の在宅状況があるところ。

自室に閉じこもって出てこないというよりは、休みの日などは積極的に母親や家族全員でレジャーを楽しむ余裕がある人が多い。


以前このようなツイートをしたことがある。

https://twitter.com/anoooo0_0/status/1532978527531696131?t=K98VqGzT-15VfctNhYYnHA&s=19

当該の在宅中の彼らは、この中では「反出生世代」だ。


彼らの母親は殆どが、このツイートの中では「雇用機会均等法世代」ではあるが、世代の中に含まれるだけであって、実際は、一般職で就職した後に、20代なかばで寿退社&出産、その後は専業主婦かパートの道を歩んでいる人が大半。

東電OLや皇后雅子妃のようなバリキャリではない、いわゆる「地に足のついた普通の幸せ」を追い求めて生きてきている善良な市民である。


このツイートの中には出てこないが、雇用機会均等法世代の上には、国民皆婚世代が控えている。25までに結婚しないと賞味期限切れ、結婚して子どもを二人以上産むのが普通、もちろん夫の両親と同居、という集団だ。


次世代は前世代の影響を強く受ける。

それに反発するか迎合するかは、世代全体の雰囲気や、個人の選択(厳密に言えば個人の選択ができるかどうかも集団の雰囲気やプレッシャーの強弱があるが…)で決まる。


均等法世代で普通の幸せを選んだ彼らは、バリキャリになれない自分と、適齢期のプレッシャーに負けて、本当に合う人が他にいるかもしれないのに目の前の人と結婚してしまった後悔(バブルを経験しているので、もっと良いものを!という向上心がある意味強い)、そして次世代の団塊ジュニア世代(ギャルブームを作ったり、とにかくパワフル)が「仕事も子どももおしゃれも称賛もすべてほしい!」とばかりに、実際に欲に向かって行動しているのを見て、羨ましいけど前世代からの呪縛と親の介護が…と現在身動きが取れない状況。


どの世代も大変だなあと思うことは多いが、均等法世代の辛さは、若いときにバブルを謳歌したことを差し引いても、前世代からの呪い、次世代への羨望、時期的な体調不良など、見ていて辛そうだな…と思うことが多々ある。


そんな、適齢期に焦りの末とりあえず目の前の人と結婚して、子育てに邁進するので旦那は空気、を地でやってきた自分、当然配偶者とのパートナーシップは育っていないし、手に職もないので周りに誇れるものがない…そうなったときに、目の前の子どもが仕事が辛いと言っている。

子育てが終わって、目の前には心が通じ合わないパートナーと、パートの仕事(もしくは家事)。

子どもが帰ってきたら、「冷たい社会でいじめられて帰ってきた可愛そうな子どもをケアするという大事な仕事をする私」という重要な仕事をしつつ、パートが休みの日は、どうせ夫と行っても楽しくない様な素敵な場所に一緒にでかけて楽しむことができる!やっぱり娘を産んでおいてよかった♥と、想像してしまう私は穿ち過ぎだろうか…

(後半部分は実際の証言あり)


一方、当事者である反出生世代の彼らの話を聞いていると、驚くほど冷静で、「目に見えないものに踊らされていない感」に驚くことがある。


目の前の親たちの険悪な関係性を見ているので、結婚の対して大げさな夢がない。

ゆとり教育にギリかかっている子たちも多いので、無理して勉強や仕事で結果を出すことと自己価値がイコールではない。

(この点は私の世代は反省がある。私達の世代は、結婚や出産に対しては現実的な人間が、前の世代に比べると多いが、仕事に対しては「仕事=自分の価値」だと考えている人がまだ多い。私の世代によく見られる行動は「資格を取る」ことである。)

インターネットが身近にあることで、自分の好きなことで稼ぐ、生活する人達を見てきているので、歯を食いしばって会社にしがみつくという考えが少ない人が多い。

そして発達障害という言葉がメジャーになったことで、できないことは悪では無い、努力してもできないことがある、という、今まで日本に連綿と続いていた、努力最強論を看破できるようになったことはとても大きいと思う。


もちろん彼らには将来の漠然とした不安があるが、それを結婚という飛び道具でどうにかしようとは思っていない。

むしろ彼らは、結婚は不安の解決策では無いことを知っている。

そういった意味を込めて、私は彼らを「『ネオ』・家事手伝い」と名付けたいと思う。

(従来の家事手伝いは、結婚するまでの間に実家で家事の練習などをする、主婦業を修めるといった意味があったが、そもそも彼らには、結婚願望がないことのほうが多い。そして引きこもりほどの悲痛感がない、在宅している&メインで家事を担うことはない、といった理由から。)


彼らの親は、自分が彼らを助けていると思っているだろう。

もちろん、住む家を与えて、お小遣い等の経済的な支援をしているのは、助けると言って遜色ない。

しかし、長年かけて築きあげたツギハギだらけの夫婦関係や自尊心を、なんとかごまかすために手元に子どもを置いているのだとしたら、それはある意味「代理ミュンヒハウゼン症候群」の亜種と言っても過言ではないのではないだろうかと思う。


私はすべての人間が家の外に出て働いて自立することが良いことだとは思っていない。


ただ、自分の行動の動機が何なのかは、できれば明確に自覚しておいたほうが、この先トラブルが少ないのではないかと思っている。


「あなたの子どもはあなたより賢い。」

「あなたの子どもは、あなたよりも物事をよく見ているし、よく考えている。」


私が今まで見てきた親子の中で、親よりも目が曇っている子どもには会ったことがなかったので、私の中では(今のところ)この言葉は真理だと思っています。


親世代に関しては、辛辣な文章になってしまったが、当人達には、使えるものは最大限使ってほしいとおもっている。

しかし、一抹の心配もある。

社会から被害を受けることはなくなっても、底なし沼や蟻地獄のように、気がついたときには「家」から抜けられなくなることがないように、そこが自分にとってふさわしい場所ではないと感じたら、物理的には難しくても、精神的に逃げる場所があればいいなと願っている。

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