舞台「ほんとうのハウンド警部」
エヴァンゲリオンの感想を書こうかなとおもったが、もう一回見てからと思い、先に先日観た舞台の感想を残しておきます。
見たのはシアターコクーンで上演されたシス・カンパニーの公演「ほんとうのハウンド警部」です。
トム・ストッパードの戯曲を小川絵梨子さんが演出、出演は生田斗真さん、山崎一さん、吉原光夫さん、鈴木浩介さん、趣里さん、池谷のぶえさん、峯村リエさんです。時間は90分ちょっとの作品で、テンポよく進みます。
内容は劇作家二人(生田・吉原)がある作品を劇評するために見に来る。見にきながら途中はさほど作品に関係のない身の上話や愚痴りなどを続けていく。舞台上では殺人事件が起こり、その推理を続ける。そのうちに吉原さん演じる批評家のバートブートが舞台上で演じ始める側になって芝居を続けることになるが、先程の演技と同じことを周りの役者は同じことをしつつ、バートブートは自分の言葉を語っている。そのうちにストーリーの流れに沿って、バートブートは殺されてします。そして生田さん演じるムーンも作品世界にいつも何か入り、ハウンド警部として事件の推理を始める。しかし最後は山崎一さん演じるほんとうのハウンド警部で車椅子の男で、失踪していた館の主人が現れ、ムーンを殺しまた主人として振る舞って終わる。
ストーリーとして見るとなんのこっちゃという感じですが、劇中劇を更に芝居として覆っている感じでしょうし、実際には論理的な解決があるようでないし、趣里さんや鈴木浩介さん、池谷のぶえさん、峯村リエさんたちは劇中劇の中で、わざとらしく振る舞う、大げさな台詞回しなどを繰り返して、これが演劇であることを強調する。そこに二人の劇批評家の欲が乗っかり、筋が動いていくが、実際にはその二人も劇の中の一部に過ぎない。
結果的にすべての登場人物が包括して、一つの作品の登場人物なのか?それとも実際の批評家が、演劇作品に取り込まれたのか?はあえて定まらないようになっていて、このあたりがうまいなあと同時に正直どっちの解釈でもいいんだろうなと自分は思いました。舞台上でずっと死んでいる人(実際にはムーンが邪魔だと思っているヒッグスという批評家)がいるにも関わらず、気が付かないかのように振る舞う役者、つまづきそうになってもわざとらしく動く仕草など、演劇としてのお約束をあえて見せていくことで、舞台という装置だからこそ成立する演出を意図的に見せているのが面白い。
不条理劇と言えなくもないし、そこも包括して演劇という一つの装置が見せる作り方という気もします。このコロナの時期に劇場という場所がいろいろな意味で、その意義が問われている中、非常に挑戦的な作品だと思いました。
これ、配信だったらきっと面白さが違う気がするんです。実際には配信もしていますが、多分劇場で見る面白さというか空間としての成立具合が圧倒的に違うと思います。ストーリーは追うことができますが、それ以上にその演劇的手法というお約束を逆手に取って、演劇という空間を客に意識させて、そこに入れ子を持ち込んで更に、客が演劇世界に引き込まれるという構図は、先程の死体の放置であったり、二人が作品に組み来れたり、最後ハウンド警部が無理くり締めるむちゃくちゃも含めて、舞台上で繰り広げられるすべてが舞台という空間だと思うので。
時間が短いのも正解、この長さだからこの話が勢いよく進んでいると思います。正直、推理という点では論理性ないですが、舞台における不条理とはそういうものっていうこともありなんだと思っています。