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葦沢かもめ「ニートが儲かる時代へ――バイオベーシックインカム体験レポート」

◆作品紹介

 作品紹介に入る前にひとつ、最近編者が知った興味深い事例を紹介したい。
 二〇二四年の春ごろから、世界中の投資家やアーリーアダプターのあいだで、新進気鋭のあるサービスが注目されているらしい。NFT化されたマスクを顔に装着するだけで自動的に金を稼げるというブロックチェーンサービス「CoE=CoE」だ。運営企業は日本のスタートアップベンチャーであるanon株式会社。同社によれば「CoE=CoE」とは、「Capitalism of Everything = Communism of Everything(あらゆるものの資本主義は、あらゆるものの共産主義である)」の略だという。資本主義を加速させ、生命活動も含めたあらゆる事象に経済価値を与えることで全面的な資本主義化を達成し、その臨界点において資本主義を反転させ、全面的な共産主義化を実現するというコンセプトだ。二〇二四年九月現在登録者数は全世界で一〇〇万人を超え、そのうち日本のユーザーは約八割を占めている。日本人のアクティブ・ユーザーは五〇万人とも六〇万人とも言われており、初期ユーザーのうちには既に、同サービスで稼いだ暗号通貨だけで生活をまかなう人もあらわれ始めている。anonの思想とサービスについて、CEOの森竜太郎氏はこう語っている。「僕はそもそも共産主義が好きなんですけど、これだけ資本主義にどっぷり浸かった日本で革命とか、まず無理じゃないですか。だからまずは資本主義を爆速で限界まで持っていってみようかなと。技術的に値段がつけられるものには躊躇なく値段をつけるということ。それが資本主義の基本思想だと思うのですが、まだまだ値段のついていないものは多くあって、それら全てに値段がついたあとの世界を僕は見てみたいんですよね。言い換えれば、共産主義以前の話として、この国は資本主義を求める一方で、実のところ資本主義化が全然足りていないのです」
 CoE=CoEはブロックチェーン上で開発されたスマホ対応の健康管理アプリで、ユーザーは登録画面で基本的な個人情報やウォレット情報を入力したのち、NFT(非代替性トークン)として発行されているマスクを購入する。取引にはanon株式会社が発行している暗号資産「anon」が必要で、交換所などで購入しアプリ内のウォレットに送金する。マスクの現在の販売価格は一つ一〇万円ほどだが、価格はanonの時価に反比例し、anonの取引が増えれば増えるほどマスクの値段が下がり、ユーザーの参入障壁が下がる仕組みだ。本記事の取材のために、筆者は二〇二四年の六月にマスクとanonを購入したが、当時のマスクの価格は三〇万円で、anonの時価は1anonあたり二〇〇〇円ほどだった。anonはその後右肩上がりの成長を続け、現在の1anonは一万円ほどだから、参入を考えている人は早めに動き出すのがよいだろう。
 NFT市場でCoE=CoE用のマスクを購入すると、翌日か遅くとも翌々日には届けられる。見た目はいたって普通のマスクだが、その内部には繊維状のセンサーが無数に織り込まれており、細かな呼吸の変化も逃さず計測することのできる、高性能のIoTデバイスとなっている。センサーは人の体温や汗に反応して自律的に発電するため、充電の必要はない。
 マスクを装着すると、ユーザーの呼吸のデータパターン一つひとつにトークンが付与され、それらがブロックチェーン上で唯一無二の価値を持った情報として登録される。歩いているとき、走っているとき、仕事をしているとき、体調のいいとき、体調の悪いとき、眠っているとき、良い夢を見ているとき、悪い夢を見ているとき、生きる過程で生成されるあらゆる呼吸のパターンが取得され、NFTとして価値を持つようになるというわけだ。登録されたデータは政府機関や医療機関、健康器具メーカーなどで活用される。あるいは、データは直接NFT化するのではなく、マスクに紐付けられたクラウド・ストレージに貯め続けることもできる。呼吸資産は絶えず変動しているため、自分の都合の良いタイミングでマスク=データを売ることで、マスク単体でもあたかも金融資産のように取引することができる。
 同社は既にアメリカのベンチャーキャピタル大手「I Combinator」や中国の暗号資産交換所大手「躺平一族」などの出資を受けている。アドバイザーには経済産業省の特設チームのほか、健康器具メーカー大手「スリープス」の幹部も就いている。
 躺平一族の代表を務める趙心氏は、CoE=CoEに出資を決意した理由について次のように語っている。「中国では過去二〇年ほど、すさまじい速度で経済発展を遂げてきましたが、近年ではその反動で、厳しい市場競争に対する疲弊・批判が社会問題化しており、具体的には働かない若者が増えてきています。経済成長よりも豊かな人生を、というのが現在の中国のトレンドになりつつあるのです。幸いにして中国では、社会運営に必要な最低限のオペレーションは既に自動化されており、わざわざ人間が働く必要はなくなってきています。そのため、今後は無理に働いて生産するよりも、無駄な生産からは距離を置きつつ、いかに金融市場のフロンティアを切り拓いていけるかということが中国の大きな課題になってくるだろう、と私たちは考えているのです。いわば今は〈寝そべり資本主義〉時代の勃興期なのだと私たちはとらえており、anonのCoE=CoEはそうした私たちの未来予測に完全に合致しているのです」
 そしておそらくその潮流は中国に限ったものではない。プロジェクトはまだ始まったばかりであり、まだまだ奇異の目が向けられることは少なくないものの、CoE=CoEに対するユーザーニーズや投資家の注目度に鑑みれば、趙心氏の言う〈寝そべり資本主義〉の到来が、今後のテックサービスの世界的な傾向であることは明らかだろう。
 要するに未来のテクノロジーは、ただ生きることを推奨する方向に進んでいる。生きるだけというのは文字通り生きるだけを意味しており、仕事をしたい人はしてもいいし、したくない人はしなくてもいい。外に出かけてもいいし一日中ベッドに横になっていてもいい。眠ってもいいし眠らなくてもいい。ただ寝そべること、何もせずに無為に過ごすこともまた、生きると呼ぶに値する。あらゆるものの間で横たわる、あらゆる形のあらゆる優劣は取り去られ、後には純粋な生の価値だけが残るのだ。
 このようにして、近年は生きるだけで稼ぐ人が増えてきている。一つのアプリが全ての生に経済価値を与えつつある。テクノロジーの発展が、ただ単に生きることによるただ単に生きることを可能にしはじめているのだ。
 ――書いているうちについ前置きが長くなってしまったが、本日紹介する記事は、そんな現在の延長上にある、より精緻化されより汎用化された未来のテクノロジーの体験レポートである。お楽しみあれ。(編・樋口恭介)

参照:CoE=CoE コンセプトスライド (Anon Inc.)

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