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ひとりごと。

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撮りたいものと能動感と

撮りたいものと能動感と

私がよく撮る地味めな写真に対して
「誰も見向きもしないような地味なもの」
という表現をする時があります。

でもずっと小さな違和感があって。
(地味という意識が無いのは別として)
本当は「誰も注目しない」かどうかは重要ではなくて、私が能動的に見つけた「美しいもの、惹かれるもの」を撮りたい。それが「誰でも美しいとわかるもの」でなくても。というニュアンス。言葉は難しい。
つまり、誰も見ないかどうかはわ

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あけましておめでとうございます🎍
昨年、お付き合い頂いた方ありがとうございました。本年も気が向きましたらお付き合い頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

高齢者、年配者に対して思うのは、確かに色々な人がいるけれど、中年の私がわかる範囲だけでも「時代が変わった」と一言で片づけられない大きな価値観の変化に、折り合いをつけて来た人たちと考えれば、普通に暮らしてるだけでも尊敬に値するのではないかと思う。

以前は、あんな事を言われたこんな事を言われたと腹を立ててたけど、例えば私の活動や環境に対する誤解や侮辱や他人の個人的な負の感情があったとしても、大事な事はそこで私自身がどうかと言う事だけで、他人の野次には全く意味がないことを最近やっと心から理解出来てきた。

心を楽にする方法をいろいろ見つけたから教えてあげたい人は身の回りにたくさんいるんだけど、無闇に言葉だけ渡しても懐ろまでしまってもらえないどころか逆に傷つけることにすらなりかねないから黙ってる。無力だなと思うけど、誰にでも受け止められる頃合いと言うのがきっとあるんだろう。

世の中のしくみとして、全ての事柄は良くも悪くも「誰かにとって都合が良い事」で成り立っていて、その誰かの条件が自分に近いほど快適に暮らせると言う考え方を持っているんだけど、どうも年々その誰かが遠くなっている気がする。

時計がただ1日を人の都合で24分割したものを可視化しただけのものなら、私の一生も何者かの一晩の夢だったとしてもおかしくはない。
なんて、どこかで聞いたような事を本気で思ってしまった。

漠然と「仕事したくない」って言ってる人たち(学生も含めて)は、世の中の殆ど人が仕事を嫌々してると思ってる予感がするし、個々の仕事したくない理由や具体的に嫌な事を分析したらいろんな分類が出来そうだし、もう少し幸せな人が増えそうな気がするんだけどな…。

意識の在り処

意識の在り処

私は私が美しいと感じるモノを知りたい。
私の中の意識と照らし合わせていく作業を繰り返してそれをする。
何に目が行き何を意識するのか。
私は私の無意識を知りたい。
人は何をもって人というカタチを成しているのか?人というのは複雑で面白い。とても興味深い。目に見えないものをたくさん抱え、まとっている。
人というものを知るために一番身近な研究対象が自分になるのは自然な事のように思う。

写真も絵も、私にと

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自分が撮った写真は相変わらず好き(愛着の方が近い)なんだけど、手法には飽きてきた感がある。長年やっている人たちはそれを何度も越えているんだろうな。40年以上撮ってる師匠からよく聞くその手の壁の話を思い出す。

私たちはたくさんの毒を飲まされていたのかも知れない。「正解を求めよ」と毎日問われれば、何にでも正解が存在すると錯覚してしまうのは自然でしょう。

人によって価値のあるものは違うし、価値のないものも違う。
#多様性

ひとつ夢があって。というか夢が出来た。
「夢」って言葉は使い方がよくわからなくて避けてきたんだけど、これは「夢」と言ってしっくりくる。今のところは。そう、多分、次の段階に行くと目標になるし、さらに先には私の望みを叶える手段になる。

絵も写真も「その場面で自分が惹かれたモノが伝わるように表現する」ことが私の中で一番の課題なんだけど、伝わるか伝わらないかは受け取る側にもよってしまうので着地点は自分で決めるしかなくてその辺のバランスが難しい。主観と客観を行き来する。