涙の理由
「人生は儚い」
使い古された言葉が、私の心に何度も問いかける。
人生に正解はない。だから、不正解もない。
だから、それでいいと私は思っていた。
けれど、病院のベッドの上で、ついに言葉を発することも出来なくなり、亡くなる直前に流し続けた涙に、私は思い悩む。
来週には飲みに行こうと約束していた。仕事でもう一度、一花咲かせたいとのことで、その内容を聞いて、話し合う予定であった。期待を胸に、熱く語ってくれた電話の内容を私は生涯忘れないだろう。
人を裏切るぐらいなら、裏切られた方がマシだ。と、口癖のようにおっしゃっていた。そして、本当に裏切られた。
一番の教え子の女性は、鞍替えをして次期社長の役員にすり寄る。仕事は全くできないが、枕営業の腕は一流だ。そうして、マネージャーまで昇り続けているのだから。
その女性マネージャーは、お通夜で涙を流す。それを見ているだけで、私は吐きそうな気分であった。嫌味を言うことや人の悪口をそれとなく言うことにかなり長けているから、涙を流すことぐらい演技で簡単に出来るものなのか。そして、次に誰が権力を握るのかということをかぎつけることができる処世術と、手のひら返しも実に素晴らしい。人間不信になりそうだ。
私は、少々、潔癖症なところがあるので、仕事の場でこういったことをされることが嫌いである。だから、私はいつまで経っても出世しない。分かってはいるが、性に合わない。
社内政治の場から一旦、降ろされた。能力も高く、そして、プライドも高かった。だからこそ、自暴自棄になってしまった。
それが、寿命を大幅に縮めた大きな原因だ。
私は葬儀場を出て、もう定年退職なされているが、東京から出席なされた古くからの大先輩である方と近くの居酒屋で二人で飲み明かした。
故人の話と、私が思う悔しさの話をぶつけた。
大先輩は、そういう裏の話をだいたい知っておられるので、私が考えていた通りであること、そして、会社とはそういうものであること、と教わった。
その大先輩も社内政治が苦手で、上層部に楯突いてしまっていたので、昇進がほとんど出来ず、そして最後の2年はグループ会社の後方勤務に回されたという話をお伺いした。
ある程度は知っていたのだが、かなり詳しく語っていただけた。
会社というものは、能力の有る無しではなく、どれだけ忠実なしもべである振りをし続けることが、無難に出世する秘訣ではあるが、私がそういう演技が苦手なのもご存知なので、「今、この会社の経営状況はとてもいい。だから辞めてはいけない。特に何の反対意見も言わず、淡々とやるのがいい」とアドバイスをいただいた。
おそらく、私に今後、この会社で順調に昇進していくという道は少ないだろうということも暗に伝えているようであった。
その大先輩は続ける。「故人の仇を取ろうということは、考えないことだ。それは、誰の得にもならないし、そんなことをしたとしても、お前が消されるだけだ。虎視眈眈と時期を待つという気概でやればいいし、もしこの会社が傾きかけた時には、真っ先に見限るといい。なんにせよ、今は辞め時ではない」
私はこくりと頷いた。持っていた焼酎の氷がグラスの中でぶつかって、カランと音が鳴った。まるで、私の相反する2つの心を表しているかのようだった。
「その役員は、次の社長になるぐらいだから、馬鹿ではない。お前は、仕事はできる。だから、クビにすることはしないし、上手く使ってくるだろう。だから、余計な反発さえしなければいい。無理に同調する必要もない」
二人とも酒の量は、普段より増えているのだが、一向に酔えない。そういうものか、とも思った。
私が今年の夏頃に、会社の用件で東京に行くことを伝えると、その後に東京で飲もうという話をして、各々、タクシーに乗り込んだ。
私は、帰りのタクシーでも考えていた。人生は儚い、けれど、儚い人生を生きるために、我慢もしなくてはならない。
いや、我慢なのか、それとも、考え方を変えるべきなのか。
どちらにしても、この儚い人生をどう生きるのがいいのだろうか、分からない。結局、私も自分のことしか考えていない。
合う人もいれば、合わない人もいる。
ただ、合わない人間に足を引っ張られるような人生に私はなりたくない。
正解はない。人生に意義もない。ただ、産まれて必死に生きて、そして死んでいくだけである。
ただ、私は亡くなる直前に流した、あの涙の理由を教えて欲しいだけなのだ。
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