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【エッセイ】こんいろ #新色できました #私の色と日常

 つい数ヶ月前まで、私の日常の色は漆黒に覆われていた。
明日への希望を自分で閉ざし、不安な未来に思いを馳せていた。

 先週の5月18日の土曜日、私は長くなりすぎた髪を切りに行くと決意した。
 伸びすぎた髪も嫌いではないけれど、仕事に復職したので、少しでもさっぱりとしたビジネスマン風でないと、後輩にも示しがつかないと思ったからだ。

 自分のやる気やテンションは、自分でなんとかしないといけないと思っている。だからこそ、髪を切るという行為は、今まで家に引きこもっていた自分との決別という意味合いも込めて、自分にカツを入れるために行わなければならない一種の儀式でもあった。

 私はもう15年以上も同じ方に髪の毛を切ってもらっている。
今日は大阪の田舎にある私の行きつけの美容師さんのお話をしたい。


床屋

 約18年前、25歳の私は仕事の関係で、その美容室の近くに引っ越した。

 お店の名前は、「Hair Studioなんとか」というオシャレな横文字だが、どうも私はその名前が似つかわしいとは思わないので、「床屋M本」と勝手に呼んでいます🤣(たまーに、床屋ちゃうわ!と怒られます笑)

 なぜ、私が「床屋M本」に通うことになったのかというと、当時働いていた会社の社長の地元の先輩「M本さん」が、会社の近くで美容室を営んでいたから。
 引っ越してきて、土地勘もなかった私は、その美容室で散髪してもらうことにしたのがキッカケである。

 M本さんは、風貌がとても美容師に思えなくて、最初に会った時の印象はいい風に言えば、ブルドーザーでも操縦しているおっちゃん、悪く言えば、目つきの悪いチンピラだと思った。その印象は、今でも全く変わらない。

 年齢は、今年 49歳。
 趣味は、ゴルフと釣り。釣りは最近、行っていないらしいが、昔はよく釣りに行かれていた。魚が趣味なのかもしれない。美容室には、今でもM本さんの趣味の水槽が4つほど置かれていて、中に色々な色の魚が水槽を彩っている。

 また、体を鍛えるのが本業と言わんばかりに、フィジーク選手(ボディビルの上半身のみの競技)のような体付きを維持している。さらに、美容室の横に小さなトレーニングジムまでも作ってしまった。美容室にお金かけない代わりに、ゴルフと水槽とジムにお金をかけている。なんとも不思議な人だ。ちなみに、今でも私の腕の太さの軽く2倍はある。

 M本さんは、奥様と一緒に美容室を営んでいる。とても仲の良いお二人で、どこに行くにしても二人一緒である。そして、息子さんと娘さんがいらっしゃる。息子さんとはじめて会った時は、まだ2~3歳ぐらいの可愛い坊やだったが、もう来年、成人式ということを聞いて、他人の子どもの成長は早いものだとつくづく思った。

 M本家とは、髪の毛を切っていただくだけではなく、私が結婚して娘が産まれた時にもお祝いをいただいたり、M本さんの娘さんの服をいただいたり、一緒に遊んでもらったりと家族ぐるみで付き合いをしてくれた。

 その後、私は同じ市内だが、マイホームを購入したので、引っ越しをしたが、変わらず「床屋M本」に通っている。
 そして、今は1人になってハイツに住んでいるが、やっぱり変わらず「床屋M本」に通っている。

手術

 M本さんは、2年ほど前に心臓病で半年ほど入院された。かなり深刻な病気で、生まれつき心臓が悪かったのだが、ついに耐えきれなくなり、大きな手術となった。
 手術が失敗すれば、死に直結するような大手術だったようだ。カテーテルを通して、心臓の静脈に機械を入れて、血液を流してあげないといけない。かなり細かいお話をお伺いしたのだが、メモを取っていなかったので、専門的な単語を一切覚えていないのだが、簡単に言うと、心臓というポンプが弱って停止してしまう持病のようだ。

 幸い手術は成功をして、なんとかM本さんは美容師に復帰することができた。自分の店に立てなかった時は、奥様が全てやりくりをされていた。
 当時、散髪の予約を取るために、LINEした時、奥様から返信がきて「旦那、ちょっと病気で入院してんねん、ごめん」と、けっこう軽めな返信だったので、そんなに気にも留めていなかったのだが、後から内容を聞いて驚いた。

 今もまだ、心臓に機械を入れながら、毎日、髪を切っている。

余命

 ちなみに、心臓病が治ったわけではない。延命措置を行っただけである。そのため、医者からは、「60歳まではなんとか生きることができると思うが、その先は無いと思っていただいた方がいい」ということを、すでに宣告されているらしい。

 M本さんの残された時間は、残り約10年である。

 そのことに対して、本人は10年も生き延びられることに感謝してる。
「1年後とかだったら、どうしようかな?何しようかなと悩むところだったが、10年もあるならゆっくり考えられる」、と私の髪にハサミを入れながら、答えた。

 たしかに、人はいつかは死ぬ。しかし、いつ死ぬか分からないから、死の恐怖を感じないから、私は明日を見て、今日も生きられると思っていたが、どうやらM本さんはそうではないらしい。

「10年という期間を区切られて、毎日を生きることができる方が良くないか?」とのことだった。
 もし、明日死んだとしても、手術に失敗していたら死んでいたので、仕方がないと思える。だから、今は余生みたいなものなのかもしれない。

「毎日怖くないですか?」
 私は、ヴイーンと音を立てるバリカンを頭の横に入れられながら、質問をした。
「そりゃあ、怖いわ。この間も、動悸があってドクドクと心臓の鼓動が変わって不整脈みたいな感じになったから…恐怖を感じるで」
 一瞬、真剣になった顔が、私に現実を垣間見せた。

 10年という期間は、あくまで生きられるだろうという予測なので、明日いつ死ぬか分からない爆弾を彼は胸に抱えている。

目標

 私は、M本さんに顔をカミソリで剃られながら、「何かこの10年にやりたいことあるんですか?」と聞いてみた。
すると、「毎日、昨日と変わらず生きる!」という返答だった。
 拍子抜けした。もっとこう、海外旅行したいとか、やってないことをやりたいとか、そんなんじゃないの?と私は思った。

「あと、10年って決まっているのに、昨日と同じことをやり続けるんですか?なんか、新しいことしないんですか??」
 私には、毎日と同じことをして、死に向うという感覚が分からなかった。
「お客さんがきて、たわいもないことをしゃべって、髪切って、毎日ご飯食べていけるという生活がオレは好きやから、それが続いていくことが最高や」
 M本さんの笑顔は、私にはとても光輝いていて、眩しく映った。

 洗髪されるため、私は目をつぶった。何かしなければ、何かしなければと、毎日ずっと思っているなと暗闇の中で考えていた。
 昨日が最高の1日、だから、今日も昨日と同じ最高の1日にするっていう感覚が、とても新鮮なものに思えた。
 私には、分からない。頭では分かっているつもりでも、心では分かっていない。今が続いていく幸せを噛みしめることができるということは、余命宣告されないと本当に自分の心で分からないのかもしれない。

「ここに来ると、15年前からずっと変わってないから、安心感がありますよ」
 ドライヤーで髪を乾かしてもらいながら、私は言った。

「昔から変わらない場所を作れてたら嬉しいな」
そうM本さんは、返した。

新色

 M本さんは、心臓に爆弾を抱えながら生きている。それは、私なんかより、とても大きな闇を毎日抱えていることだと私は思う。
 だからこそ、日々に感謝されているのかもしれない。日常に、自分で光を灯し続けているのかもしれない。昨日と同じ日を生きれるだけで、闇の中に強烈な光が放たれる。

 毛払いブラシで、切った髪の毛を落としてもらった後、散髪代を支払いながら、私は言った。
「私が定年退職するまで、あと20年ありますから、先に死んじゃったらどこで髪切ってもらったらいいか分からないので、酸素マスクやカテーテルしながらでも、散髪続けてくださいね」

 私にお釣りを渡しながら、M本さんは答えた。
「60でオレが死ぬと思うか?そんなひ弱な根性してないからな」
 病は気からとは言うが、根性で乗り切りそうなので、想像してしまって、思わず笑みがこぼれ出た。

「ありがと。また、きてな」
 そう言われて、床屋M本を出た。とても夕陽が眩しかった。

 帰り道、私は歩きながら考えていた。「どうして、あんなにM本さんは強いのだろうか」と。
 この進歩の激しい時代において、全く何も変わらないという稀有な存在である。自分の生き方に、満足している。全くぶれがない。

 いつ心臓が爆発するか分からない闇の色を抱えているからこそ、強い光の色が眩しく映るのではないか。

 M本さんと話をしているだけで、力を貰うことができる。
私の日常の漆黒の色を、いとも簡単にグレーに変えてくれるのだ。

 あ! #新色できました

 人は闇の色があるからこそ、光の色ができる。そうして、両方が混在し、混ざり合うことで、生き生きとした魂色(こんいろ)になるのではないか。

 魂色(こんいろ)は、とても眩しい色だった。

 家路へのバスに揺られながら、「新色を見れて良かった~」、私は心の中でM本さんに感謝した。

(3,771文字)

感謝

 三羽さま、遅くなりすみません💦
どうしても、どうしても書きたかった内容だったので、時間が掛かってしまいました…

 魂色(こんいろ)はまだ出てないですよね??🤭

 ご企画いただき、この作品を投稿できることが叶ったこと、心より感謝申し上げます!
 三羽さま、いつもありがとうございます😌🍀✨


#私の色と日常 にも参加させていただきました!🤭
 私の色と日常は、まだまだ先が見えない真っ暗な黒に覆われているのですが、早く全てを終わらせて真っ白になりたいと思っています!!

 真っ白の日常になった時から、私の人生は再スタートをきれることができます。そのためのnote。黒で覆われた紙は、少しずつ真っ白の紙に生まれ変わる。そう信じながら、日々noteに書き綴っています。

 ともちゃんさん、企画いただきまして、誠にありがとうございます😌🍀✨


 M本さんは、どうしてそんなに心が強いのか…
このことを、私は書くことができず、最後の最後で、筆が止まってしまっていました。
 しかし、Momokoさんの記事を拝読させていただきまして、M本さんは大きな「病み」と「闇」を抱えておられると気づきをいただきました。

 そうして、この記事の最後を書くことができました。
Momokoさん、誠にありがとうございます😌🍀✨


 いつきさんの帯があるからこそ、彩られたnoteを書けることができています。
 今回も使わせていただきまして、ありがとうございます😌🍀✨
 これからも、色々使わせてください~!!

後書

 以前から、M本さんのことは記事にしたかったのです。
なぜなら、本当にいつお亡くなりになるか分からないからです。

 今回の三羽さまの企画が無ければ、書けないまま終わっていたかもしれません。
 書くことによって何かが変わることはないのですが、いつでも自分が読み返すことができます。
 まあ、M本さんが60歳までに亡くなられるとは、到底、信じられないですけどね🤭

 床屋M本は、いつでも、20代のあの頃と変わらない思い出に触れることができる私の貴重な場所です✨

 最後まで、お読みいただきまして誠にありがとうございました。


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