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ふしん道楽 vol.12 かまち

今住んでる家は玄関の上框がない。

入るとすぐに玄関というか廊下というか、いわゆる「ホール」と言われるような空間で、靴をぬいで「上がる」段差がない。
そのままの床が家の奥まで続いている。
これ自体は元からそうなっていたのでリフォームの時も直さなかった。
フラットなのが一目見て気に入ったのだ。

ただ、一つ問題があってドアを開けるとそのまま廊下が始まってしまうため、家を訪ねてきた人は皆さん一様にチャップリン的な表情で
「これ……どこで靴脱いだら良いんすかね?」
ってなるので、こちらも無声映画のようなジェスチャーを交えて
「大体この辺りまで玄関でここから徐々に廊下っていう感じです」
と答えることになる。

自分としては玄関からグラデーション状に廊下へと変化していくイメージで生活しているので、ここまでが玄関でここからが廊下、というよう明確な線がないのだ。
そうした場合、日本人の習性なのか大抵なるべくドア寄りに靴を脱ごうとしてくれる人が多い。
なのでこちらもドア寄りにスリッパを置く。
すると大体ドアから30センチ辺りに靴着脱ゾーンが発生することになる。

しかしその辺りは普段、私が靴で歩き回っている場所だ。
そこにスリッパを置いてしまうと外からの埃や汚れが裏に転写される。
ということは外界の汚れのついたスリッパで家の中を歩くことになる。

まあそんなことを言ったものの、私はもともとちょっとそう言うところが雑な性格で、ブーツを履いた後で忘れ物に気が付くと、脱がないで家の中にズカズカ入っていくタイプ(もちろん帰ってきたら必ず掃除するが)。
なので今まではそこまで神経質に考えてはいなかった。

しかしそこでコロナの登場である。
いっときは靴底にウイルスが付着して感染する、と言うようなニュースが流れもしたので急に掃除の頻度が上がり、自分自身も靴をかなりドアに近い場所で脱ぎ履きするようになった。
それだけでは心許ないので脱いだ靴の底を消毒するための除菌スプレーを置いて、外から帰った際にはそれを噴霧していちいち床を拭くようになってしまった。

これ、たとえ一段上がっていたからといっても同じように除菌していたかもしれないし、区切りがなくともきちんと掃除していたら問題はないと思う。
思うのだけど……。

外と内を明確に分ける場所、それが玄関であると明確に意識するようになってみると、やっぱり上框がある方が良いような気がしてきた。
おしゃれがなんぼのもんじゃい、という心境だ。

大体何をもってしておしゃれと思ってしまったのだろうか、私は。
玄関に段差がなくて海外の住宅みたいだったから?
いやいや、そんなことではないはずだ。
宿場町の大きな旅籠で踏み固められた三和土に旅装を解き、上框に腰掛けて、お女中が運んできたタライで足を洗うことに小学生の頃からずっと憧れているのだから、それはない。
何その憧れ、とか言わないで聞いてほしい。

そんなことではなく。
素材の数が絞られていたのが気に入ったのだと思う。
框がないため、玄関と廊下が一体化している。
床の素材がひとつなのだ。
玄関内の素材と色は「ドア」と「壁」と「床」の3種類だけなのが良かった。

玄関はその性質上、異素材の見本市みたいになりがちだ。

ドアでまずひと素材。
その上で三和土と框、そして壁。
さらに「家の中」にあたる廊下と、最低でも5種類の素材が混在する。
住宅界における素材のるつぼである。
その上でドアノブや靴箱、照明に玄関マット。
脱いだままの靴がそこに置かれていることを勘定に入れると、数え切れないほどの素材と色が存在することになる。
さらにうちの場合は夫の趣味で仮面ライダーのフィギュアや戦艦大和なども置かれるので、素材の数を数えていくうちに宇宙へ意識が飛ぶレベルだ。


注文住宅の玄関事例、などを見る限り素敵だなと思うような玄関は素材の数が少ないことが多い。
三和土は外からのつながりで土間風だったり石だったりだが、框は廊下をズバンと切り落とした感じで一体化している。
もしくは逆に三和土と框が一体化してる場合もある。

どちらにせよ上框ってのは単体で主張しない方が良いように思う。

たまに花崗岩で縁取ったみたいな框を見かけると、そっと隠れていたい人に「今日の主役」って書いたタスキをかけて悪ノリしてるみたいな感じがする。やめてあげてほしい。
すごく重要でありながら存在を悟られないように生きる。
それが框の宿命なのだ。

そういった意味では玄関の三和土がそのまま廊下でもある今の自宅は、框がないため存在感の心配も当然ない。
だけど無くていいの?という気持ちになってきてしまった。

外からの地続きでそのまま入れるバリアフリーには良いところもたくさんあるが、外と内との境が曖昧になってしまうという欠点もある。

「外との明確な境界線」としての框の意味を、この度のコロナ禍は教えてくれた。

この先もいつまた謎のウイルスが発生して再度パンデミックに見舞われるかわからない。
なかったとしても、この時代を経験した人はきっとこれからも長くウイルスに対しての警戒心が消えないので、やっぱり框はあった方がいいと今は思う。

玄関で外界から連れてきた汚れを払い落とし、一段上がって室内に入るという日本古来の住宅スタイルが、ここにきてグッと株を上げたような気がしているのだ。
どうしよう、うちの玄関。
タライでも置いておいて帰ったらすぐ足と靴を洗うようにしようか、迷うところである。

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初出:「I'm home.」No.112(2021年5月14日発行)

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