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ふしん道楽 vol.5 住まいの暖房

一軒家が寒いということが初めて骨身に染みたのは鎌倉に住んだときだった。

東京で生まれ育った身からすると神奈川は少しだけ暖かいイメージがあったのだが、それは葉山とか逗子が漂わす謎の”コート・ダジュール感”に惑わされていただけだった。

実際の鎌倉、特に山間部の方になると谷間には水が流れていて思いの外寒い。
エアコンとオイルヒーターをフル稼働で暖房しても冷えてしょうがない。
地底の鬼から棒で刺されているかのように冷気が上がってくるので、ついには家の中用ブーツというのを履いて暮らしていた。

薪ストーブもあったが家が古いので至るところに隙間があってなかなか暖まらない。
木枠の古い窓は常に1〜2センチほどの隙間が空いていて出入り自由にもほどがある。
冬は冷気が、夏には虫がフリーパスで行き交っていた。
本気で家中を暖めようと思ったら、大層な薪を必要とする。
薪は大体1束で千円くらいしたので景気良く燃やすと光熱費がとんでもないことになる。
よほど寒い日やお客が来るときなどに限って使った。

薪ストーブの炎はどんなときも皆の気持ちをほぐしてくれて大変評判が良かった。
小さなお鍋ややかんなら蓋の部分に置けるのでお湯を沸かしたり簡単な料理もつくったが、それだけでお客は楽しんでくれたし、自分たちも楽しかった。
一度ソーセージを焼いてみようと思い立ってじかに置いてみたところ「バズン!」という音を立てて一瞬で焼き付いた。
高温すぎたのかぎっちりと貼り付いてしまい剥がすのに苦労した。
なぜちょっとした手間を惜しんでフライパンを使わなかったのか。
私にはそういう面倒くさがりなところがある。
おかげで素敵な薪ストーブの蓋部分に、はっきりとソーセージの跡が付いてしまった。

一軒家に比べるとマンションは暖かく快適だ。
気密性が高いので暖房が効率良く効く。

私はそのことをすっかり忘れていた。
鎌倉が寒すぎたせいである。
その後、都内に戻ってマンションをリノベーションするときも寒さに対する恐怖が強く、リビングに暖炉を付けることに決めてしまった。
楽しい思い出も、もちろんあったけれど。

暖炉、と言ってもエタノール燃料を使ったもので、マンションなど煙突がない部屋でも使うことができるものだ。
火力は調整できないが家の中で美しく燃え盛る炎を見ることができる。
煤も出ないので手入れも簡単だ。
前からホテルやラウンジでよく見かけて素敵だと思っていたのだ。
小さなサイズのものから本格的な暖炉と同じサイズのものまであり、私はショールームにあった横に長い一列の炎を出すものに決めた。

薪をくべるタイプのストーブだと炎は必ず円錐状になる。
それはそれでプリミティブな美しさがあるが、横一列の炎は未来的で格好良いような気がした。

室内につくり付ける場合は、その周囲に不燃材を用いる必要がある。
内装のデザイナーさんと相談して黒により近い焦げ茶、という凝った色を選び、そこに炎が浮かび上がるのはさぞ美しいだろうなと想像しては喜んでいた。

それ以外にも床暖房を入れたりして、暖房に関しては万全のリフォーム。
床暖房なら冬場の乾燥が少し軽減されるはずだ。
冷え性と同時に小じわの心配もしての家づくりである。

完成して住み始めた年の冬、私はとびきり寒い日が来たら暖炉をつけようと待ち構えながら、毎日をほかほかと快適に過ごした。
そして快適に2月を迎えてしまった。

……床暖房が素晴らしく暖かいのである!
リビングとバスルーム、洗面所の床暖房をつけておけば、あとは一切暖房を必要としないのだ。

オイルヒーターすら買う必要がなく、エアコンさえもまったく出番がない。
間取りの関係もあるのか、2ヵ所の床暖房をつけただけで廊下から玄関までもれなく暖かい。
寝室には一切の暖房器具がないのだが、ほかの場所よりも少し寒く感じるくらいで、乾燥しないし眠るにはむしろちょうど良い。
なんなのこれ!?めっちゃ快適〜!
暖炉とか一切必要ないんだけど〜!
と、なぜかIKKOさんの物真似をし出す私。

この状態で暖炉などつけたらどうなるだろうか。
どうなるもこうなるも暑い。
炎を見るだけでも暑苦しい。

暖炉を使うためにわざわざ一度暖まった床暖房を切る気にもならない。
もう一度寒くなることを期待して待ち続けたが気が付くと春。
なんとその年あれだけ楽しみにしていた暖炉に火をいれることはなかった。

自宅の庭に露天風呂とかピザ用の窯などを設置して最初の数年こそ頑張って使うけれど年々使わなくなっていったケースをいくつか知っている。
準備と片付けが面倒なのだ。
うちの暖炉も同じ運命を辿りそうで怖い。
今年こそ火が灯るのを祈るばかりであるが、私がやらない限り誰もやる人間はいないのである。

特殊な装置は使い続ける根気があるひとだけが設置すると良い。
夫婦そろって面倒くさがりな家は絶対にやめておくべきだ。
必要に駆られて使わざるを得ない状況で設置するならもちろん良いと思う。
山間部の別荘の薪ストーブなど……。

今年の冬もうちの暖炉の上には鉢植えの見事な胡蝶蘭が鎮座し、不燃材の黒に近い焦げ茶をバックに美しくその花を咲かせている。

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