『私と着物』|熱風 インタビュー
2021年5月号からはじまった安野モヨコさんによる表紙が、この6月号から3年目に突入します。モヨコさんといえば『働きマン』『ハッピー・マニア』に象徴される、現代のリアルファッションに身を包んだ女性像が目に浮かびます。そんなモヨコさんがなぜ「着物姿のどこかクラッシックな女性たち」を表紙に描こうと思ったのか。その背景にあるモヨコさん自身の着物への愛情を伺いました。いまでは、自らの絵柄で着物を作るブランドまで立ち上げるほどの“着物熱”。それは日本の植物や鳥などの美しい自然を、もっと気軽に身にまといたい、まとってほしい、という気持ちに通じているようです。
祖父の着物姿と3歳で着た黄八丈
──2021年5月号からの2年間、表紙の絵を描いていただいてありがとうございました。「着物の女性がそれぞれの物語を感じさせる」とおかげさまでとても好評で、続けてまた1年お願いする運びとなりました。もはやこのままモヨコさんが嫌になるまで続けていただければと鈴木(敏夫)プロデューサーが申しておりました。
安野 ほんとですか。替えるのが面倒くさくなっているだけじゃないですか(笑)。
──そんなことないです(笑)。本気です。で、この機会に一度モヨコさんと着物の関わりについて、まとまった話をお聞きできたらと。
着物の魅力に目覚めたのはいつごろからなんですか。
安野 私の祖父が着物生活者だったんです。着物をいつも着て暮らしていたんですよ。東京・下北沢という場所柄もあったかもしれませんが、私が子供のときは近所にそういう方がけっこういらして。隣近所だと、たとえば10人ぐらいお年寄りがいたら、そのうち2人ぐらいは着物の方がいました。親戚の中では祖父だけでしたけどね。
──浴衣ではなく、着物なんですか。
安野 普通の紳士の着物でした。しっかりした生地でできていて、羽織と襦袢とアンサンブルになっているものです。冬も着物用のコートを着ていて。一緒に暮らしているとき、祖父が着物をパンと脱ぐ姿が印象的でした。男の人の着物は対丈(*1)だから下に着ている襦袢も一緒に脱げる。それを衣紋掛けに掛けて、股引と下着の姿になって、そのまま寝ちゃう。
──皮を脱ぐみたいな感覚ですね。
安野 そうそう。それで朝起きたら、またそのまま着る(笑)。着物は毎日洗ったりしないから男の人の着物ってかなり楽ですよね。
──たしかおじいさまはテーラーでしたよね。
安野 そうです。でも、そのころはもう仕事をしていませんでした。ただ、仕事をやめてからもミシンが好きだから、いつも何か作っていて、私もちっちゃいとき、いろいろ作ってもらっていました。
──モヨコさん自身の着物体験はいつから?
安野 3歳くらいのころにはすでに黄八丈のアンサンブルを着ていました。貰い物だったのか誰かのお古だったのかは忘れちゃったんですけど、お正月や冬場に着ていました。一度着せてもらうと脱ぎたくないっていつも騒いでいたらしいです。
──着心地が良かったんですか。
安野 好きだったんですよね。おじいちゃんと一緒だからうれしかったという部分もあったのかもしれません。また、あるとき祖父の家に来ていたお手伝いさんが実家に帰るっていうから、私も行くってついて行って。向こうでお祭りの子供装束を着せてもらってゴキゲンだったらしいです。そのお祭り装束ももらって帰ってきて家に保管していました。
──3歳にしてすでにかなり着物熱が高そうですね。
安野 たしかに当時から着物は好きでしたね。ただ、親はいちいち着付けるのが面倒くさいじゃないですか。小さいころにたまたまサイズが合うものがあったときは着せてくれていましたけど、大きくなってくるとそうもいかない。それでも浴衣は毎年買ってくれていました。小学生のときは町内で盆踊りがあると学校の友達とみんなで浴衣を着て出かけていました。いっぺん浴衣を着せてもらうと、そこから一週間ぐらい毎日着ているんですよ。夏休みの午前中に学校のプールに行って、帰ってきたら家では浴衣を着て、みたいに。
──近所を練り歩いたりはしなかったんですか。
安野 お祭りでもないのに浴衣着て歩いていたら、さすがに変な人扱いされます(笑)。
アンティーク着物と出会う
──その後、着物に対する興味はどのような変遷をたどるのでしょう。
安野 着物といえば女の子の場合、成人式ですけど、私、その一週間ぐらい前に足を怪我しちゃっていたんです。さらに言えば、当時は家が貧乏すぎて成人式用の振り袖を借りてもらえなかった。だから成人式の着物は着ていないんです。で、私が成人式に行けなくてかわいそうだからって、友達がみんなして着物で集まろうって言ってくれて。彼女たちは買ってもらった着物があるから、もう一度くらい着たいわけです。みんな振り袖に白いフカフカのショールでキメているんだけど、私だけ普通の小紋(*2)でした。紺地に打ち出の小槌とか宝づくしのかわいらしい小紋だったんだけど、みんなの晴れ着と並ぶとさすがに地味というか(笑)。
──友達に悪気はなくても、苦い思い出ですね。
安野 そのとき着物ってやっぱりお金の余裕がないと無理なんだなと思って、ちょっと自分から切り離しました。着物って購入して終わりではなく、しまう場所も必要じゃないですか。やっぱりある程度収納する場所もないと。洋服の収納とルールが変わっちゃうので、それ専用の場所が必要なんですよね。
──着物熱が再燃するのは作品的には2001年に連載を始めていた吉原の遊女、きよ葉が主人公の『さくらん』を描かれるあたりからですか?
安野 その前だった気が……。東京・恵比寿で一人暮らしをしていた20代半ばくらいのころかな。催事場にアンティーク着物のお店がポップアップストアを出していたんです。そこですごくすてきな着物に出会って。『AERA』の表紙(2003年5月5日号)を撮影してもらったときに、その着物を着ました。私の身長でも丈がちょうどいいアンティーク着物に初めて出会ったんです。赤みのある紫と青みのある縦縞が綺麗な、正絹の着物でした。
──『AERA』の撮影のときはご自分で着付けをされたんですか?
安野 そうです。でも今思うとめちゃくちゃで、あれでよく撮影に行ったなと思って(笑)。
──写真を着物姿にしようと決めたのはなぜですか。
安野 本当に着るものがなかったんです(笑)。売れて少しはお金が入ってもぜいたくできるほどじゃない。とりあえず借金しなくても大丈夫にはなったけど、お洋服とかを買いにいく時間はないという。
──心の余裕もない。
安野 そうそう。家で作業しているときはほんとに普段着でしたから、『AERA』の表紙なんて何着ていこう、となって。
─あっ、着物があった、と。
安野 逆に着物しかない(笑)。私、わりとそういうこと多くて。おしゃれ漫画家みたいに言われることがありますけど、全然そんなことない。
当時、同業の少女漫画家さんたちのホームパーティに誘っていただいたときも、ホームパーティだから普段着でいいのよね、と勝手に思い込んで行ったら、私以外はみんな全身シャネルかプラダかグッチみたいな世界だったこともありました。
鎌倉の古着屋さん巡り
──2002年には庵野秀明監督と結婚されて、2004年に鎌倉に引っ越されています。この時期にはすでに近所の古着屋さんを巡って着物を買い集められていたという話を聞きました。
安野 そもそもは結婚してすぐに監督と京都に行く機会があって、監督の仕事仲間で京都出身の方にお会いしたとき、奥様がやはり京都の出で、日本舞踊もやられている着物エキスパートだったんです。それで「私も着物に興味があるんですよね」みたいなことをポロッと言ったら、京都の老舗の着物屋さんを紹介されて。監督も結婚したばかりで張り切っていたから「何でも買いなさい」みたいな流れになって(笑)。
そしたらその奥様が「一度一緒に着てみれば着られるようになるから」と言って、その場で着付けをしてくれたんです。それで次の日、東京に帰るときに最低限必要な着物着付け道具セットを一揃い選んでくださって。そのとき、こんな感じで着ればいいんだみたいな感覚が身につきました。そのベースがあったからその後、本やネットを見ながら、見よう見まねで着られるようにはなったんですよね。
──では、結婚を機に着物熱が再燃したという感じなんですか。
安野 京都から鎌倉に送られてきたお仕立て上がりの着物を着るのは汚しちゃったらと考えると怖くて。それで鎌倉の古着屋さんの、柄や色がかわいいものとか銘仙の丈夫なものを買って、とりあえず着てみようと。これなら汚しても大丈夫だからみたいな感じでバンバン着だしたんですよね。ただ、そのとき京都で監督に買ってもらった着物は結局、全然着れていないんですけど(笑)。
──古着屋さんで着物を見るモヨコさんならではのポイントはあるんですか。
安野 やっぱりアンティークならではの柄ですね。時代的には明治時代のものはほとんど残っていない。大正時代のものはあるけど、状態は良くない。だから必然的に昭和のものが多くなる。戦後すぐくらいのものかな。柄の風情とか生地の美しさ。あと八掛という着物の裾の裏に付ける布、それがかわいいんです。ふつう無地を付けるんだけど、白地に紫の模様が入っている着物の裏地がピンクとか、その時代ならではの色遣いがある。
最初は着物で作って、それを羽織にしたり、その後襦袢にしたり、柄が派手なら帯になったり、最終的には羽織の羽裏になったりもする。アンティークはその流れが見えるところも好きですね。
──そういう知識はやはり本やネットで勉強されるんですか。
安野 そうですね。あとは着物が趣味の友達に聞いたり、古着屋さんで話を聞いたり。たまたまうちに来た漫画のアシスタントさんがアシスタントと掛け持ちで有名な着物の古着屋さんでバイトをしていたこともありました。その子に聞いた話ですが、鎌倉の家の近くに古着が積んであって全然整理されていない店があったんです。その店はいいものがたくさんあるんだけど、全部切り刻んじゃってドレスにして、某有名女優さんがそれを衣装に使っている。だから切り刻まれる前に早く買いに行って古い着物たちを救ってやってくださいって言われて(笑)。
実際に着物を羽織ってみないと
描けなかった『さくらん』
──吉原を舞台にした『さくらん』は再燃した着物愛の高まりと関係があるんですか。
安野 最初はそれほど着物というものを意識せずに描きはじめたんですが、実際に描きはじめて着物を描く難しさに気づかされました。洋服って毎日誰かが着ているのを見ているから、どんなポーズをとらせてもなんとなく描ける。でも着物ってキャラクターを動かしたときの、たとえば袂がどうなっているのかとか、まるでわからない。だから『さくらん』を描いていたときは、着物を羽織って自分で動いてみて描いていることが多かったです。
──着物を羽織ったまま漫画を描いていたんですか?
安野 ペン入れのときは着ていないですよ。インクがとんだら大変だし。でも、どうなっているのかを確認する段階ではいつも着ていました。あのころの着付けと現代の着付けは全然違うのでそのへんも当時の着付けに合わせてみたり。たとえば遊女は前で帯を結ぶんですよね。あと年代にもよるんですが、江戸時代って帯を二つに折っていないんです。だからすごく幅が広い。あるいは江戸時代と明治・大正以降は明らかに柄が違う。今でも残っている江戸好みという種類の柄と、明治・大正・昭和のモダンアンティークではジャンルが違います。もちろん明治時代でも江戸好みの着物を着ていた年輩の方はたくさんいらっしゃったと思うんですけど、若い人たちが好む柄にはもっとデザイン感が出てくる。さらに言えば、江戸(東京)と京都とでまた系統が違うんですよね。江戸は江戸小紋といって遠くから見ると一色に見えるような、スクリーントーンみたいな柄が多いんですけど、京都は一つ一つの文様がけっこうはっきりと独立した柄が多いんです。わりと雅やかな感じが残っているというか。
──漫画を描きながら知識も深まって、さらにモノも増えていくというサイクルですね。
安野 モノはちょっと尋常じゃなく持っていた時期がありました。だから一回全部売り払いました。古着屋さんだけでなく、ヤフオクで入札をしまくっていた時期もありました。手が離せない仕事中もアシスタントさんに入札してもらったりして(笑)。
──今、お持ちの着物は何枚ぐらいあるんですか。
安野 そんなにないですよ。たぶん50枚以下だと思います。自分で作るようになったら、自分のところのばかり着るようになってしまいました。
着たい柄を描いて、スキャンして、
それを布地にプリント
──ついに、ご自分で着物を作るようになったんですね。それが約2年半前に立ち上げたモヨコさんのオリジナル着物ブランド『百葉堂』ですね。ご自分で着物を作るに至った経緯について教えて下さい。
安野 実は鎌倉から東京に戻ってきて、しばらく着物を着ていない時期があったんです。
──どうしてですか。
安野 習慣みたいなものですね。頻繁に着ているときって着るのが当たり前になるんですけど、一度着なくなると急に億劫になってきちゃって、しばらく心が着物から離れていた時期がありました。で、ふと、そろそろまた着物を着ようかなという気持ちになったとき、その前に習ってたことをもうだいぶ忘れてしまったこともあって、この機会にちゃんと基礎から学びなおそうと思って先生を見つけたんですね。
──素人の感覚で申し訳ないんですが、着付けというのはそんなに難しいものなんですか。
安野 最初はひとまず脱げなければいいぐらいの感覚で着ているんですけど、慣れてくると、なんで座るといつもここが突っ張るんだろうとか、ちょっと時間が経つと決まってここがダラッとなるのはなぜだろうみたいに、気になるところがいくつも出てくる。あるいはなんであの人はあんなにすてきな着姿なんだろう、とか。
──そんなに違うんですか。
安野 違います。だからきれいに着られるようになりたいと思ったら、やっぱりプロに教わったほうがいい。それで、あるとき自分が持っている古着の着物と帯を着付けのレッスンに持っていったことがあって。ほんとうはこの古着の帯を使いたいんだけど、生地がボロボロ過ぎて使えないんですよね、というようなことを言ったら、先生が「これ、プリントできますよ」っておっしゃって。
──プリントというのは、どういう意味ですか?
安野 写真製版です。たとえばある柄の布があったとして、もう布がボロボロだから新しい布で仕立てたいと思ったら、ボロボロの布ごとスキャンして柄をコピーする。そのデータをパソコンに取り込めば、画面上で色調調整したり汚れをとったりできる。着物ってだいたい1メートルぐらいのパターンを繰り返して反物になっているので、そのワンストロークをきれいにスキャンできればいいんです。一度パソコンに入れてしまえば背景の色も変えられます。
──ようするにボロボロになったアンティークの着物から絵柄をスキャンして救済する?
安野 ええ、最初はアレンジするより、まさにコピーばかりやっていたんです。気に入っている帯の柄があって、それをスキャンしてもらって保管する。たとえば渦巻きを点描で描いているだけの柄なんですけど、全部伊勢型紙(*3)から染めたものだから、今のデジタルのドットで点描したものと全然違うんです。一個ずつの間隔がちょっとずつ違うし、点も一つ一つ表情が違って若干長細いのとかあるんですよね。それが全体で見ると揺らぎになっている。デジタルでも一見同じ柄に見えるものはできると思うんですけど、仕上がりが全然違う。だから伊勢型紙の文様をスキャンしてもらって色を反転してみたり、元が帯だった柄を小紋にして着物に仕立ててみたり。そういうことを2、3点やってみたら、すごく楽しくなって。もちろん全部、自分用の着物としてやってました。
──そこから、ご自分で文様を描くようになった?
安野 そもそもは夏物の古着の柄をスキャンしたいと先生に言ったら、夏物は絽だったりするわけですが、暑くないようにと生地そのものが透かして織ってあるからスキャンできないって言われて。「えっ、夏物こそ汚れちゃっているものが多いからスキャンして柄を保管しておきたいのに」と、すごくショックで。それで自分で描くことにしたんです。
──たしか機械でスキャンできないから“目コピー”で文様を記憶に留めて描き写していたと着物雑誌のインタビューで答えていらっしゃいましたね。
安野 今の柄は版権がありますから昔のアンティーク柄を目でコピーするわけです。そのままトレースするのではなく、ショップで見かけた柄を目で覚えて持ち帰り、記憶に残った自分の印象で描く。その過程で色も変えるし、配置も変えちゃう。
──いくら1メートルのパターンの繰り返しだと言っても、反物の全体がイメージできないと、なかなか難しくないですか。
安野 難しいです。だから最初はいっぱい失敗しました。こんなはずじゃなかったみたいな(笑)。単体の柄としてはかわいいと思っていたのに着物にしたら、あっ、こういうふうに柄が出ちゃうんだと。でもその最初に柄をプリントできると教えてくれた着付け師の先生がプロだから、ここにこの柄を出したいんだったらこういう配置にすればいいとアドバイスをしてくれる。そこからずっと彼女に頼りっきりで、結局なし崩し的にうちのデジタルのオペレーターとデザインをやってくれています。
──その着付け師の先生が、そのまま「百葉堂」の中の人になってしまったということ?
安野 ええ、中の人です。というか、彼女と出会ったおかげで百葉堂ができたんです。自分一人で柄を描いて右往左往しているだけだったらオリジナルの着物を作って売ろうなんてことにはなっていなかったと思います。
その着付け師の先生と相談していろいろな柄を作っていたら、気がついたらそうなっていただけなんです。次、これ、ちょっと作ってみる? みたいなことを繰り返しているうちに、なんかもう売る? みたいな(笑)。
最初は私が描いた柄をほしいって言ってくれる友達やスタッフにおすそ分けするような感覚で作ってました。そのうち違う色がほしいとか言いだす人が現れてきて、そのたびに新色を作ってあげていたんです。色のパターンを変えて“マス見本”という1メートルずつの試し刷りをインクジェットプリントで作るんです。試し刷りを1回やると5000円くらいかかる。でも友達にマス見本の代金を出せとか言えないじゃないですか。みんな遠慮なしに、もうちょっと青みがほしいなんて注文してくるので、それにつき合っていると「これって着物屋さんじゃない!?」みたいになってきて、着物屋をやろうってなったんです。
──それが今から約2年前に百葉堂を作ることになったきっかけですね。
安野 そうなんです。それで柄の手持ちが二つくらいしかないのに話題だけが先行して、いろいろなところから取材が来て、ついには東京の新宿・伊勢丹さんからポップアップストアのお誘いが来ちゃって、死ぬかと思いました。
「百葉堂」という名の由来
──スタッフは何人ですか?
安野 今年から増えて7〜8人です。着物を梱包して発送するのって、やっぱりプロの技術が必要なんです。畳んでそのまま送っちゃうとずれて中でグシャグシャになっちゃうので、たとう紙で着物を包む際に紙を挟み込んでずれないようにしたりしなきゃいけない。そういうのって訓練が必要なんです。あと、縫製から返ってきた着物に針が入っていないか調べる作業も素人では難しい。よく検針済という紙が、着物を買うと入っているけど、あれをやる人が必要なんです。
──発送と検品だけでもプロが必要ということですか。
安野 そう。あと販売の場では着付けと着物採寸ができないとダメなので。今、試着会を年に2回やることになっているんですけど、そのときも反物を着物みたいに巻き付けられる人が必要で。
──ああ、反物をお客さんの身体に合わせる作業ですね。
安野 そうです。お客様がまるで着ているみたいな感じでイメージできる。毎回、試着会のたびに入ってくれる人たちとか地方の催事で必ず入ってもらう人も含めると、かなりの数になります。
──それをモヨコさんがぜんぶ社長としてコントロールしている?
安野 まさか、まさか。そんなことできないです。着付け師の先生がオペレーションを支えてくれているので、私はただ柄を描くだけです。それを先生がちゃんと着物として成り立つように配置してくれて、デジタルプリントの会社に発注してくれる。
──必要な人が自然に集まってくる流れができているんでしょうか?
安野 たしかにそれはあるかもしれない。急に伊勢丹での催事が入って、どうしようとか言っていたら、某着物店で長年、店長をやっていた人がそこを辞めて百葉堂で働きたいんですけどって急に来てくれたんです、募集していないのに。超ラッキーで。
──引きが強いんですね。
安野 今でもみんなに言うんだけど、あのときSさんが入ってくれなかったら、私たち伊勢丹で泣き崩れてたよねって(笑)。搬入って? みたいな、そういうところからなにもわからなかったから。ポップアップストアでのディスプレイのルールも知らなかったし、ほんとに直前に彼女が入ってくれたおかげでなんとかできたんです。着付けのできる販売員さんをどんどん連れてきてくれて。だからプリントのオペレーションを支えてくれる着付け師の先生と、販売のオペレーションを支えてくれる彼女がいなかったら、百葉堂はできていないです。
──百葉堂の名前の由来はモヨコさんの名前の百葉子から?
安野 そうです。あと100種類ぐらい柄があるといいなと思って(笑)。初めは2種類ぐらいしかなかったのでベースになる文様が100種類ぐらいできるといいなと。
――その100種類というのは、全部モヨコさんが描かれる文様ですか。
安野 そうです。
自分がほしいと思う絵柄にまで
昇華するためのスケッチ
──では、その模様の着物を使って『熱風』の表紙をずっと描いてくださっている?
安野 いや、全然違うものもいっぱいあります。絵で映える模様と実際の着物にしてすてきな柄は違うので。
──着付けや文様を深く学んでいくと描く着物の絵も変わってくるんですか。
安野 そうですね。やっぱりその人の年齢などによって着方が変わってくる。今年の2月号の表紙で、お嬢さんが膝をついている絵がありますが、あれは足が痺れちゃったという絵なんです。足が痺れて、親指をギューッとやって頑張って伸ばしている。
──美しい絵だと思っていましたが足が痺れているとは思いませんでした(笑)。
安野 足が痺れているんです。この子は、やっぱりそんなに衿を抜かない。あと、首の前もかなりキュッと絞ってる。でもわりと年輩の人や夏場だったら、衿をちょっと抜いているほうが粋だったり、リアルに着ている感が出る。
──毎回の絵のアイデアはどんな感じで考えるんですか。たとえば2月号の絵は桃です。
安野 はい。だいたいちょっと先の季節を描くようにしています。だから4月は桜にするべきかなと思うんですけど、一足早いくらいの季節を捉えたほうがいいんですよ。
──文様を描き始めたときうまく描けなくて苦労されたとお聞きしたことがあります、それは何が難しいんですか。
安野 文様にするのが難しい。たとえばすごく上手に植物の絵を描ける人っていっぱいいると思うんですけど、梅の花を梅の花そのままに写実的に描いても着物の柄にはならないんです。あるいは漫画的なイラストタッチで描いたものもダメということはないんですけど、少なくとも私はそういう着物はほしいと思わない。それを自分がほしいと思う柄まで持っていくというのはすごく難しくて。
──しかし、モヨコさんはいわば絵描きのプロじゃないですか。そんなプロの方がイメージしてもうまくいかないものなんですか。
安野 うまくいかないんです。やりかけて挫折したものはいっぱいあります。今年は桜と夜桜の昼夜帯を作るわって張り切っていたんだけど、全然できませんでした。
─その難しさをもう少し説明してもらえますか?
安野 やっぱり時間がかかります。梅も桜も昔から大人気の柄なので抽象化した図案からスケッチに近い柄まで、いろいろな種類の植物柄がすでにアンティークで存在しているんですけど、だからって、それを見て描いてもしかたがない。だったらすでに存在している柄のほうがいいですよね。実は私も最初のころは現存する文様を膨大に模写してイメージとして自分の中に取り込んで、それを再構成して出せたらいいんじゃないかと思っていたんです。けど、それはいくらやってもダメなんですよ。なんでダメなのか考えたんですけど、やっぱり梅なら梅を桜なら桜を死ぬほどスケッチしないとダメなんですよ。
──本物の梅や桜が自分の中で抽象化されるぐらいまで本物と向き合わなきゃいけない。
安野 そうです。それをまたさらに図案としてのかわいさみたいなところまで持っていくというのがけっこう馬力がいる。今年の春に作ったものでミモザという柄があるんですけど、ミモザを友達からいっぱいもらったんですよね。
──モヨコさんがお好きな花ですね。
安野 そうです。去年も今年も大量にもらって、すごく感動して、毎日スケッチしていたんですよ。たくさん描いていくと、だんだん特徴とかがわかってきて、そうすると柄として本物そっくりに描かなくてもよくなるんです。ミモザのどこをかわいいと思ったかというと、重なっている葉っぱがかわいいとか、そういうのを図案として出していく。昔の人ももみじが地面に落ちていて、そこに上からもみじの葉っぱの影が映っているその美しさを見て、柄にしたんだなと、昔の人が思うこととかがわかるようになるんです。
──模写というステップから、もっと本質的なステップに移行されたんですね。
安野 そうです。でもまだまだ発展の最初のころかなって自分で思います。やっとそういうことなんだとわかったばかりで、できているかと言ったら、まだ全然できていないんですけど。それをやっと体感したぐらい。
─やっぱり植物がお好きなんですか。
安野 そうですね。でも鳥とかも描いていきたいですけどね。昔の日本の良いところって、そういう自然のものをすごく愛していて、実質的に二週間程度しか旬がない稲穂の柄の着物とかあるんですよね。それはもちろん贅沢品だから、お金持ちのお嬢さんとかしか着ていないと思うんですけど、そういうのをもっと気軽に着てほしいなと思って。「百葉堂」では帯も出していますが、たとえばリバーシブル帯で表と裏と二種類の季節で使えると少し気軽に締められるかなとか。チューリップの柄は二週間ぐらいしか使えないけれど、裏はもうちょっと長い期間使える菊にするとか考えます。
──日本人が昔、自然をそれだけ愛していた。そういうものを絵柄に落とし込みたいということですね。
安野 ええ、そういう作業が楽しいんですよ。すごくいい自然……私、水仙とかもすごく好きだから、水仙の帯も今年、冬物で出したんですけど、それはちょっとね、水仙をそのまま描いちゃったなと。
──あら(笑)。
安野 やりながら、ちょっと違うかもと思ったんだけど、でもかわいくできたので、お客様にほしいという方がいらっしゃるかもと思って出しちゃった。まあ、でもまだまだいろいろな水仙を描いていくと思っていますけどね。
──日常的にも風景や植物を観察するのがお好きなんですか。
安野 もともとお花はすごく好きで、毎週お花屋さんから送ってもらっている花は、毎朝デッサンしているんですね。漫画の締切に追われているときはできないですけど、時間があるときは朝、描くようにしていて。
──それは着物の文様のため?
安野 そうです。やっぱり一回描くと。
──入りますか?
安野 入ります。すごく入ります。だからそのシーズン中に一度でもいいから描くようにしています。葉っぱが左右一緒に生えていたのか、互い違いだったかとか、案外わからないんですよね。でも、一回でもちゃんと描いてみると……。
──自分の身体にその存在を入れるということですね。
安野 そうです。それ、やらないと。見た気になって柄をいくら描いてもダメなんです。
──植物図鑑をご覧になることはあるんですか。たとえばNHKの朝ドラの牧野富太郎の絵とか。
安野 見ますよ。杉浦非水(*4)とか。非水は、渋谷区の資料館に収蔵されていたので、散歩の途中で立ち寄って見てました。この春に高崎で展覧会(*5)があるので、行ってみようと思ってます。すごく絵がうまくてセンスがある先人が、どこを抽出するのかというのは勉強になるので。この花のこの茎のこの節、描くかねみたいな。茎が好きなんだなっていうのがわかったり。自分も図案にして帯の背中に背負いたいと思う絵って、ただその植物を描いた絵じゃなくて、やっぱり百合のつぼみの根元がちょっとふっくらしているみたいなのが描かれているほうが背負いたいじゃないですか。
──そうか。描いた人間のフェティッシュが入っていたほうがいいわけですね。
安野 そうです。やっぱり描いた図案家の方の想いが反映されていると面白いですよ。
庵野監督と着物
──植物のスケッチをしに山へ行ったりなさいますか?
安野 意外と山奥に生えている草花って着物に向いていないんですよね(笑)。なじみがないというか。文様にするならもうちょっと標高が低いところのほうが良いかもしれません。コブシとかもきれいですけど、木が大きくて遠すぎるからよく見えない。だからお花屋さんから送ってもらったお花を題材にすることが多いです。お花屋さんにはいつも画題にするからと言ってあるので。だから今年は梅を大量に送ってくださいとか。毎週入れてもらったりしていました。
──常に描きたい花というのはあるんですか。
安野 そうですね。それがまた不思議な巡り合わせで。そのお花屋さんというのが呉服屋の娘さんなんです。ご実家はもう廃業されちゃったんだけれども、彼女は着物の中で育っているから、着物の柄にするような植物を送ってほしいと言っておけば、それを送ってくれるんですよ。
──ずいぶん巡り合わせがいいんですね。
安野 ほんと、そうですね。
──今、漫画とこういう着物の柄を描くようなお仕事と、比率はどのくらいなんですか?
安野 そうですね。ひとつ決めているのは、漫画の邪魔になるほどは頑張らないということです。やっぱり漫画が本業なので柄で苦しみたくはない。基本は自分と自分の周りの着物の好きな人たちがほしいという柄を作るということだから、とにかくそれだけは常に肝に銘じています。
──2年間の表紙絵の中で男性の着物姿を描いてくださっているときが3回あるんですが、それはなにか理由があったんでしょうか?
安野 男性はもっと着物を着ればいいのにという気持ちからですね。
──庵野秀明監督も含め?
安野 監督は着ないんです。どうしたら着てくれるかなって悩んでウルトラマン浴衣とか買ったこともあるんですけど(笑)、全然着てくれなかったです。
──似合いそうに思えますが。
安野 似合わないんですよ。足が長すぎて帯の位置が上になっちゃうので、ほんとにアホの丁稚みたいになる(笑)。歩き方もけっこう重心が前にかかってフワフワフワって歩くでしょう。だから赤塚不二夫さんが描かれたガンモみたいになるんですよ。
──百葉堂に男性の着物はないんですか。
安野 男性の方からいくつかご希望をいただいているんですけど、ただ男性向けの柄がまだ少ないんですよね。
──それにしても、ポリエステル地の着物というのは思いきった発想ですよね。
安野 そうですね。気軽に着てもらうということを考えると手軽に洗濯できることが重要でした。通常の着物をクリーニングに出すと1回で服が1着買えるくらいの金額はしますからね。麻の襦袢は洗濯機で洗えるから、すごくいいですけど、まだ試作中。黒地に雪輪の柄なので男性でもいけます。
──これから始まる3年目の表紙ではなにか新たな構想はあるんでしょうか?
安野 もうちょっと浮世絵寄りにしようかなと思って。絵柄もそうですが、浮世絵って落款や状況を解説したコマ絵、題名などが入るじゃないですか。ああいうのを入れたり、ちょっと装飾的にしようかなと思っています。
──浮世絵と言えば、この間ツイッターに東京・原宿の太田記念美術館で開催されていた『広重おじさん図譜』をご覧になってきて、すごく感激したと書かれましたね。
安野 超楽しかったんですよ。歌川広重の描いている風景画の中にちっちゃくおじさんがいっぱい描かれているんですけど、その顔をよく見ると、一人ひとり表情豊かですごくかわいくて、ひとりとして同じ顔はいないんです。ひとりでニヤニヤ笑いながら歩いていたり、寒そうだったり、超うれしそうにお弁当を食べていたり、やっと宿場に着いた安堵感にあふれていたり。
──ずいぶんと細部に目が行きましたね。
安野 ええ、宿場に着いた顔、いいんですよね。大きな絵の中ではモブに過ぎないんだけど、そのモブ一人ひとりの性格までが細々と描きこまれている。木曽の街道沿いにはその土地のちょっと悪そうな3人組がいて、お腹をドーンと突き出していたり、焚き火でお尻をあっためていたり。その3人は絶対馬泥棒とかしそうな感じなんですよ。一見する限り風景がメインの絵だから、引いて見ていると気づかない。
──たしかによっぽど注意して見ないと気づかないですね。
安野 でしょ。でもよくよく見るとすごいでしょう。地方の美術館の学芸員さんが最初に気づかれて企画を出されたらしいんですけど、よく見つけたなと感心します。広重は気づいてもらえて、うれしいだろうなと思いました。
──いいですね。モヨコさんの浮世絵風表紙絵も期待しております。
安野 はい、頑張ります(笑)。
(このインタビューは4月10日に行われました。)
◇構成/山下 卓
初出:『熱風』2023年6月号(スタジオジブリ発行)
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ロンパースルーム DX
安野モヨコ&庵野秀明夫婦のディープな日常を綴ったエッセイ漫画「監督不行届」の文章版である『還暦不行届』の、現在連載中のマンガ「後ハッピーマ…
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