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2月15日次に行こうの日

 自分のことを何か言われている気がする。

 椎名元がそう思ったのは小学校三年生がまもなく終わるという今と同じ季節の頃だった。急にクラスメイトたちの視線が刺さるように感じ、そのトゲが抜けないのだ。今も、それは刺さったままである。

 当時の男性担任に相談を持ちかけると、彼は日頃そうするように快活に笑い飛ばした。

「そんなこと気にするな!」

 椎名元には担任の言葉が「『おまえの言うとおり何か言われているけど』気にするな!」と言っているように聞こえた。
 確かに、その通りもしかしたら何か言われているかもしれない。でも言われていないかもしれない。その部分の真実は分からないのだ。それなのに、担任の言葉は言われているのだと彼に思わせた。
 そこで彼は、以降よほどの必要時以外に声を発しないことにした。悲しいかな、それでも日々は回るし進むのだった。
 
 それももう3年も前か。椎名元は眠れずにただ目を閉じていた。心の奥底を閉ざしたのが3年前、その日からもうあと2ヶ月で自分は中学生になる。彼は日々不安で仕方がない。

 中学生になり、僅かでも環境が変われば周りの目が気になることも徐々になくなってくるかも知れない。そんな淡い期待が生まれている。けれどその反面、今度もまた変わらないだろうとすでに諦めている自分も確実にいるのだった。もし後者だとしたら、またここから3年かと思うと息が詰まりそうだ。

 余りに眠れないので彼は学校の課題を取り出した。卒業までにやってみましょうと言う任意の課題である。著名な物語やエッセイなどの英文が書かれており、それを和訳解説しているもの。端的に言えばそれを読めるようにと言う英文読解訓練である。

 彼は英語が好きだった。それはただ単純に、言語が日本語ではなく英語であると言うことが、自分がいるここではないどこかの瞬間であると思えたから。

 説明ページを軽く読み、1つ目の物語へ進む。何だか聞いたことのある物語だ。ベストセラーになったっけと思い出しながら読み進める。最初のページを読み、解説で確認をし終えるのに20分ほどだった。さて、とページを繰ろうと指先が触れる。そこには1つの英文があった。

『Let's go to next』

 この一文と共に少し上に向いた矢印が描かれている。

 それまで英文を読んでは日本語で解釈して読み進めていたため、その短い一文も瞬時に日本語としての意味が取れた。

『次に行こう』

 彼はどこかハッとし、何かを感じていた。その一文はただ単に次のページへの案内文であるはずだ。そりゃそうだ。意味はない。けれど、彼は顔を上げたのだった。

 次に行こう。

 もしかしたら自分は、3年生のあの時から同じステージでとどまってしまっているのかもしれない。3年生から4年生になっても、4年生から5年生、6年生になっても、その実3年生のその場所から動けていなかったのかもしれない。

 椎名元はそう気づいた。


 次に行こう。期待も不安も関係ない。本当はいつだって同じなのだ。

 いつだって誰かが自分のことを何かと言っているかもしれない。でも言っていないかもしれない。これはもう確かめようがないのだ。

 だから、次に行く。それだけなのだ。


 Let's go to next

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 【今日の記念日】
2月15日 次に行こうの日

株式会社国立音楽院が制定。学校になじめないなどさまざまなことで悩んでいる小学生、中学生、高校生が、同音楽院の自由な環境の中で一人ひとりに合った音楽活動を学び、新たな一歩を踏み出すきっかけの日とするのが目的。日付は4月の新学期を前に、2と15で「次に(2)行(1)こう(5)」の語呂合わせから。

記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。


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