4月21日 錦通り・ニッキーの日
夢の国商店街は確かに私にとっての夢だった。
生まれてから小学校3年生まで、私は夢の国商店街に隣接するマンションに暮らしていた。
父は転勤や出張の多い仕事をしており、もちろん残業もあったものだからあまりべったり日常を一緒に過ごした記憶がない。
一方で、母とは毎日一緒だった。肉屋でパートを始めた母にくっついて私も通っていた。幼稚園に入園しても、それが終わるとやっぱり肉屋に行っていたので、いつも一緒である。母と一緒にいたいと言う理由もあったが、その肉屋にいる同じ年の翼くんと遊ぶことが楽しかったのかもしれない。
「可愛いわねぇ。双子ちゃんみたい」
肉屋に来るお客さんに言われるたび、私はどこか嬉しかったのを覚えている。
翼くんは大人しい男の子だった。ぎゃーぎゃーと追いかけっこなどで遊ぶより2人で塗り絵やお絵かきをして見せ合いっこをするのが好きだった。例えばキャラクターやぬいぐるみを彼が描き、私がそれに色を塗る。そんなふうに穏やかに過ごす日常が好きだった。
小学校に入る頃から父の海外出張が増えた。どこの国だかわからないけれど、いない日がそれまでより長く続き、いる日はそれまでより少なくなった。
ある時、出張前の一時に、私が寂しがったのを見て、父がお守りにとぬいぐるみをくれた。それは緑色のクマなのかカバなのか分からないけれど、目元が愛らしくすぐに私は気に入った。早速その日から翼くんにも見せ、2人で絵を描き、色を塗った。
3年生になった頃、父の海外赴任が決まり、私はそれについていくことになった。仕方ないこととは言え、やっぱり悲しかった。いつも入り浸っていた母のパート先の肉屋さん、帰りに買い物に行くと果物をおまけしてくれる八百屋さん、商店街の中を歩けば誰かしらが声を掛けてくれる温かな道。
全て、大好きだった。
それに、翼くんとの別れが辛かった。私の代わりにと、父からもらった2人お気に入りのぬいぐるみを持っていてもらおうと渡しに行った。
けれど、途中でそれを失くしてしまったのだ。
かばんに付けていたのに、なにかの拍子にそれも外れてしまったようで、肉屋の手前で気づいた。来た道を戻って公園なども探したけれどなぜだか見つからない。
その時の私はあまりにも子供で、もうぬいぐるみを渡すことが出来ないなると、何故かもう翼くんには会えないと思ってしまった。
そのまま、私は彼に会わず、日本を去った。
5年ほど前に日本に戻り、去年入社した会社での初仕事のために、実に14年ぶりに夢の国商店街を訪れた。店や通りの色柄が変わっているけれど、匂いや雰囲気は変わっていなくて嬉しかった。
ぼんやりと商店街を遠巻きに眺めていると、目の前を緑色の何かが通り過ぎた。ゆるキャラのようなマスコットだ。驚いてよく見てみると、何かに似ている。なんだっけなんだっけと悩んでいると、ふわふわと頭に浮かび出した。
「二季?」
知っているような知らないような声で名前を呼ばれ、顔を向けるとよく知った顔だった。
ふわふわと頭に浮かんだ私のぬいぐるみ、続けて翼くんの顔が浮かび、私はすぐに14年前に戻るのである。
いつでも戻れる場所なのだと気づき、微笑むと再びこちらを通ったニッキーが笑ってくれた。
私は嬉しくて、泣いた。
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【今日の記念日】
4月21日 錦通り·ニッキーの日
神奈川県小田原市の小田原錦通り商店街協同組合が制定。2012年4月21日、商店街に隣接する公園の木に、動物のぬいぐるみの忘れ物がかけられていた。その愛らしさから錦通りにちなんで「ニッキー」と命名。2014年、錦通り商店街は組合設立50周年を迎えることから多くの人に愛される商店街のシンボルキャラクターとして、発見された日を記念日としたもの。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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