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5月5日 午後の紅茶の日

 風の良い季節になると私は元上司とお茶をするのが常だった。

「新緑ですね」

「新緑ですな」

「行きますか」

「行きましょう」

 彼の部署に出向き、回りくどい簡単な誘いをして、いつも彼はノってくれる。そうして約束し、私と彼は午後に休みをとって一席設けるのだ。なお、私も彼もお酒は飲まない。そのため、その一席は、ほとんどがカフェで行われるのである。

 午後のお茶、である。

 そんな私の大切な元上司の彼は昨年、定年退職した。
 タイミングをほぼ同じくして、世界的な感染症が広まって、今もそれは続いている。会って顔が見たいと思うも、もし自分が原因で感染させてしまったらどうしようと考えるとやっぱり連絡は出来ないでいた。

 けれど、私はとても会いたかった。
 会って、報告したいことがあったのだ。


 いつだったか、彼に相談したことがある。
 できる仕事を増やしたい、趣味をたくさん持って、いろんなことを幅広く充実させたい、そのすべてをうまくやりたい。私はそれらをどのようにこなすべきか、彼に話した。すると彼はほんの一瞬考えただけで、答えた。

「植田さんは、プロフェッショナルだと思いますよ」

 その一言のあと、補足のようにして教えてくれた。いろんなことを手広くすることもすばらしいが、私の場合は一つを突き詰めて身つける方が向いていると思う。オールマイティよりもプロフェッショナルに向いている。そんな風に言っていた。

 私は妙に納得した。

 私が彼に相談したのも、いろんなことを幅広く充実させたいと言うことではあるが、その実、いろんなことを一つずつ深堀りしてしまう為になかなかほかのことに手をつけられないと言う悩みでもあった。

 私は一つを極める方が向いているのかもしれない。

 彼に言われ、それが腑に落ちたその一瞬。それ以来、私はとても身軽になった。

 私の心に持つ夢はたった一つに絞られたのだった。


 その夢が、まもなく叶う。
 その兆しが見えたことで、私は彼に会って報告したいと思うようになっていた。でも会えないしなぁ、などと散歩をしてぼんやり考えていた。

「植田さん!」

 ふと呼ばれ、振り返るとそこには彼がいた。

「あ!八重島さん」

 まさかの遭遇である。
 私と彼は少しの間、近況報告を行った。本当だったら、すぐそこに見えるカフェにでも入っていつもみたいに話をしたいところである。

「お茶でもしたいけれどねぇ」

 彼もそう思ってくれたのか、残念そうに言った。仕方なしに近くのベンチで話すことにし、そこに向かって歩き始めた。

「あ」

 ベンチの横には自動販売機がある。私は駆け寄り、ペットボトルを買うことにした。

「八重島さん、ミルクティがお好きでしたよね」

 彼にミルクティ、自分にはストレートティーを買い、ベンチに座った。

「いいですね、思い立ったらティータイム」

 それぞれベンチに座り、蓋を開けて一口飲む。すぅっと喉を通り、爽やかさが香る。上を見れば新緑があり、その先を見るときれいな青空が広がっていた。

「私、ご報告したいことがあって」

 私がそう言うと、彼も一口飲む。

「では久々に、午後の紅茶を楽しみましょうか」

 そう言って笑う彼の笑顔を久々に見た。

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【今日の記念日】

5月5日 午後の紅茶の日

数多くの清涼飲料の製造、販売などを手がけるキリンビバレッジ株式会社が制定。自社の紅茶飲料「キリン 午後の紅茶」が2015年に発売30年目を迎えることをきっかけに、より多くの人に「 午後の紅茶」に接してもらい、5月の行楽シーズンを「午後の紅茶」と共に過ごして欲しいとの願いが込められている。日付は5と5で「午後」と読む語呂合わせから。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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