(最終回)ひととせ⑨【連続短編小説】
※前回の「ひととせ⑧」はこちらから
「サキさん」
目は開いているのに、起きていない。起きているのに、反応が出来ない。
反応が出来ないから、聞き間違える。
「カワサキさーん」
「あ、はい、すみません」
僕よりいくつか歳下だろう女性スタッフに呼ばれ、そちらに目を向けた。甘い香りに後ろ髪を引かれつつ、意識を戻す。
「日中は小さなお子さま連れのパパママがほとんどです。手続きに来られた方は当面、私が対応しますので、カワサキさんはお子さまの相手をしながら少しずつ覚えていってください」
にこりと微笑み、僕に資料を手渡しながら続けた。
「今日はイイお天気ですね。花の香りもいい匂い」
それまで僕が外ばかりを見ていたことを知られているのだと、思わず顔が熱くなる。
「そんなに緊張されなくて大丈夫ですよ。堅苦しく受け付けるより、穏やかでいた方がいらっしゃる方にも良いと思います」
そうですねと、堅い笑顔のままで返答し、受付デスクについた。
2月も終わるころ、僕は近くの児童館のパートとして仕事を始めた。施設の責任者が母の知り合いであり、話の流れで僕のことを伝えたところ、リハビリがてら週に一度のパート出勤をやってみてはどうかと提案してくれたのだ。いつまでも部屋に閉じこもっているのわけにもいかず、ありがたい話だった。
ただ、その一方で、週に1度であるためにぜんぜん仕事の引継が進まず、同僚となる方々には申し訳なさを感じている。
どこまで僕の話が周りに伝わっているのか全く分からないが、皆優しい。
10時、施設の開館時間となる。少しして、本日最初の自動ドアが開いた。外の風が僕の頬に触れ、ふたたびのその香りに思わず意識が向く。
「すみません、ここでおこなっている子供の英語スクールについてなんですが、確か入会申し込みが今日までだったと思って・・・・・・」
女性は足早に僕らの元に駆けてくる。その後ろから女の子がひょこひょことついてきている。何歳くらいだろうか、5歳か6歳か。
「こちらへおかけください。お子さまもどうぞ」
そう言って女性スタッフが椅子をひき、案内をした。
「ママ、私、外にいたい」
「すぐ終わるから、ここにいてちょうだい」
女の子は眉間にしわを寄せ、わかりやすく頬を膨らませた。母親は少し困り顔を見せては頭を撫でて娘をなだめる。
不意に背中をとんとんと指で突かれ、見ると女性スタッフである。
「カワサキさん、折り紙、渡してあげてください」
小声で言うと、目配せをするように折り紙の入った引き出しを視線で教えてくれた。僕はそっと席を立ち、折り紙を取り出した。
なんだか妙に気持ちが上擦る。最近はもう随分と折っていないのだった。
「僕と折り紙を作って待っていようか」
僕は数色の折り紙を女の子の前に広げ、好きな色をどうぞと伝える。小さな手が、薄い黄色の折り紙に触れた。
「なにを作りたい?」
彼女はたった今入ってきた入り口のドアに目を向けた。
「・・・・・・外にある黄色いお花」
タイミング良く、ちょうど人が入って来たためにドアが開く。ぶわぁっと香りが入り込み、僕はそこに彼女を見た。
「蝋梅だね」
僕が言うと彼女は小さく頷き、少しだけうれしそうだった。
「多分、もう少しで散ってしまうの。だからたくさん見ておきたいし、匂いも嗅いでおきたい」
どこかさみしそうに彼女は言った。
「折り紙で折ればそれは散らないよ」
僕は静かに折り始めた。彼女も同じように手を動かす。
「でも紙だからしわしわになっちゃう」
彼女が言い、僕が答える。
「それでいいんだよ。きっと本物の花にはいくつものしわがあるよ」
どこかにいるはずのいつかの彼女を想い、幸福とは斯くも心地良いものだったかを思い返す。
「でも、花びらにそんなにしわはないよ」
再び外を見て彼女が言った。僕は少し考えて、目の前の彼女と隣のスタッフに声をかけて席を立つ。ドアを抜け、風の舞う蝋梅の木の元へ。その足下にはすでに落ちた花々がある。きれいなものを一つだけ手にとり、僕はまた施設の中に戻った。ピンクでも赤でも白でもなく、そう言えばサキも黄色の折り紙を好んで選んでいた。甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「見てごらん、小さいけれどしわがいくつもある」
小さな彼女はそれをじっと見つめ、わずかにスンと香りを嗅ぎ、口を開いて笑った。
「散っている花じゃん」
僕はそれに笑い、不意に、なんだかどうにだってなるのではないかと思ったのだった。『なにが』も『どれが』もなく、そのどれでも、ただ生きていればどうにだってなるのではないかと思えた。
花が散っても、しわしわになっても、それに意味が無くても、いずれ死ぬとしても、とりあえず今は生きているので生きていればそれでいいのかもしれない。
今年はただ楽しく無意味に1年を生きてみる。季節を巡り、1年を過ごす。
『ひととせ』である。
そうして同じように来年も再来年も生きてみる。
生きる意味は、生きるためである。
僕は小さく笑いながら、重ねた折り紙に、はさみを入れた。
梅の花の折り紙がずっとずっと香るように。
(完)
2ヶ月の間、お読みいただきありがとうございました。
最近、生きる意味とそれに伴う様々な生きる上での活動の一つ一つに疑問が生じるようになりました。
なぜ食事をしなくてはならないのか、なぜ服を着たり部屋を片付けなくてはならないのか。なぜお金が必要で、なぜ働かなくてはならないのか。
どう考えても何も答えが出ないのです。
そこで、もういっそ意味と理由をくっつけてしまおうと思ったのです。
食事をしなくてはならないから食事をとる。
片付けるから片付ける必要がある。
生きるから生きる。
答えになりませんでしたが、やんわりと大人しい諦めがついたと思います。
短編連載はこれで5本目が完了となります。
次回は5月の開始を予定しています。
冬の終わりが見えてきました。
春ももうそこに見えています。
私もここにいます。
どうかご自愛ください。
あにぃ
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