見出し画像

1月15日「適サシ肉」の日

 まずは、と私は既に冷蔵庫から出しておいたそれの包みを開いた。

「準備はいい?鍋に入れたらすぐだよ。もう席について待っていてね」

 私は念を押すようにして夫の公晴くんに言う。彼はうんうん分かっていると言いながら席を立って手を洗いに行く。ほら、言ったそばから席を離れているではないかと、言わないけれど思いながらまだ肉を鍋に入れないでおく。

 美味しいものは美味しいままで美味しいように調理し、美味しくいただける状態のまま口に運ばなくてはならない。

 これはもう、台所に立つものの責務である。

「葉子さん、そこまでしなくても」

 にこにこと嬉しそうな顔をした公晴くんが私に言った。手を洗い終えたらしく、そのまま私の横を通り過ぎて席に戻った。

「美味しいものは徹底的に美味しく食べたい」

 私はそう言いきり、コンロの火をつけた。再び彼はそっと台所にやってきた。だから座って、と言い掛けて止めた。

「今日のお肉、美味しそうですね」

 にこにこと今まさに鍋に焼かれる肉を見て彼は言う。

「父と母にいい肉をもらったからね」

 私は言いながら鍋に投じる前のその輝く肉を広げてみる。台所の照明があたり、キラキラと輝いている。赤みの部分は活き活きとしたピンク色、白くうっすらと入った脂はその照明の熱でも溶けてしまいそうなほど透明感がある。

「これさ、脂のところ、サシの入り方がきっといいんでしょうね」

 うっとりと眺めるように彼が言う。

「そうだよ!やっぱり霜降りが一番ね」

 私が返すと彼はゆっくりと私の顔を見た。それは同意したような表情であったが、その裏には別の意見が隠れているようにも思える。

「そう、霜降りで脂がないと美味しくない」

 そうだよと私はうなずく。「じゃあさ」彼が続けた。

「過剰に脂が入った肉は?」

「過剰?」

 私は聞き返しながらイメージする。脂の部分、サシが過剰に入っているってこと?

「えー、脂っこくてもたれそう。それはイヤだなぁ」

 いやそうな顔を見せて答えると、彼はにこりと笑った。

「そうなんだよ、過剰はだめなんだよね。どんなに美味しい部分でも、それが多すぎると一転イヤになっちゃう」

 彼はその適度にサシの入った輝く肉を見つめるようにして言った。

「だからさ、結構何でもそうだよ。絶対や完璧、たくさんも良いけれど、適度が一番だったりするんだ」

「・・・・・・そうだね」

 私は私のついさっきを振り返る。さっきまでの私は、美味しいものは絶対美味しく食べなくてはならないと使命感に駆られていた。

「葉子さんの言うとおり、美味しいものは美味しく食べるべき。うん、それはそう。でもその環境は適度にして、あとは楽しく食べることも結構重要だと思うな」

 そう言ってにこにこと彼は笑って席に着いた。

 彼の言うとおりだ。霜降り肉が霜降りだけではだめなように、食事には美味しいだけじゃなく楽しいも必要なのだ。

「こんな豪勢なすき焼き、昔おじいちゃんに浅草のお店に連れて行ってもらって以来かも」

「私も久々だよ」

 そう言って二人で笑い、その適度にサシの入った肉を広げて鍋に投下した。じゅぅ、と肉が踊り、私も彼もその香りに食べる前からやられているのだった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 

【今日の記念日】
1月15日 「適サシ肉」の日

東京・浅草の老舗すき焼き店「ちんや」が制定。六代目当主の住吉史彦氏が自店で過剰な霜降肉を使うことを止め、適度な霜降の入った肉「適サシ肉」だけを使うと宣言。「適サシ肉」の美味しさを多くの人に味わってもらうのが目的。日付は宣言をした2017年1月15日にちなんで。「適サシ肉」は住吉史彦氏の造語で、株式会社ちんやが商標登録をしている。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?