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7月18日 カナデルチカラの日

「♪だから親愛なるひとよ、その間にほんの少し人を愛するってことをしっかりと捕まえるんだ♪」

 駅前の雑踏の中、がやがやと騒がしい町の声に紛れるだろうと思い、私は小声で歌っている。悲しいことがあって、でもどうしてだか泣けなくて、仕方なしに声に歌を乗せて出している。

 誰にも聞こえず、誰にも知られず、私の中にだけ響くのその歌で悲しみを味わっているのだ。


 7年つきあった恋人とお別れをした。婚約中だったのに、だ。理由は彼の不誠実な行動であるが、少し頭が痛いのはもしかしたらそれだけが別れる原因なわけではないなかったのかもしれないと言うことである。

 ここ数年、世が世であるせいか、私たちは確かに会う時間が少なくなっていた。そのうちに、彼は私の手を離し、ほかの誰かの手を引いた。私の手にはいつの間にか何もなかったのだ。握っていたものがなくなればすぐに気付くはずである。けれど私は気づかない振りをしていたのかもしれない。私の手はのばしたまましばらく空をつないでいた。

 彼の手や、気持ちが離れているのにそれを気づかない振りをした、その私の怠慢が別れる原因にもなっているように思う。

 それに気づいたのが今日の自分の誕生日なのだから仕方ない。

 だから、私は悲しんでいるのだ。


 そうして、私は小声で歌を歌っている。

 不思議と歌っている間はいろんなことを忘れられるようだった。歌詞を頭の中に広げているからかもしれない。歌うことに集中して、彼との悲しみを鈍らせている。

 けれど本当は、号泣したい。泣けばすっきりすることだろう。けれど意地もあるのか、私はいつまでも泣けずにいる。


 ふと、私の座る木のベンチには男性なのか女性なのかユニセックスな人が座っており、その人が目の端で立ち上がった。

 なんと言うこともない、町中の一場面。なんとなしに目で追っていた。ゆっくりと歩み、広場にあるピアノの前に座った。誰が引いても良いストリートピアノ。どうやら呼吸を整えたらしく両手をゆらりと上げ、振り下ろした。

 瞬間、音が溢れ出る。ドなのかレなのかミなのか、そんなこと私には分からなかったが、それが音であり、その音が連なり、曲を奏でていることくらいちゃんと分かる。その曲は、私が歌っていたそれだった。

「♪僕の話を聞いてくれ♪」

 私は再び最初から歌い始めた。

 それはやっぱりまだ小さな声で、私にだけ聞こえる声だ。だからその歌の広がる歌詞も私の体を巡るが、さっきとは違い、私の外からも音が聞こえてきた。

 押さえられていたものがあふれ出る。

 私は静かに、けれど確実に泣き始めた。私の中の悲しみが、聞こえる音につられて外に出たようだった。

 つとつと、少し先にいる彼か彼女かのピアノを聞きながら、私はまだ小声で歌い、涙を流す。

 涙には、ストレス物質が含まれているらしい。

 泣かせてくれてありがとう。

 少しずつ体を巡っていた重たい何かがなくなっていく。そのかわりに純粋に音と歌が体に染みてくる。それは確実に私に力を与えていた。

 音楽には浄化させる力があることを、私はそのとき初めて知った。

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【今日の記念日】

7月18日 カナデルチカラの日

楽器や音楽用品の販売、音楽スタジオの運営など、さまざまな音楽関連事業を手がける株式会社池部楽器店が制定。2020年の世界的な新型コロナウイルスの感染拡大にともない、自宅で過ごすことを余儀なくされた多くの人たちに、音楽の力で少しでもポジティブに過ごしてほしいとの思いから同社が立ち上げた「カナデルチカラプロジェクト」。そこには音楽を奏でる力で笑顔でつながり合い、人々の心の健康を守りたいとの願いが込められている。日付は同社の創業記念日である1975年7月18日から。

記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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