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9月8日 休養の日

    休むことを休むな!と、結構な大声で怒られたことがある。

 今からもう10年近く前である。

 それを言ったのは直属の上司だったのだが、結果的に彼のおかげで私はきっと助かっているのだと思う。

 セミナー講師をしていたまだ若かった私は、依頼主であるお客様の要望を叶えようと懸命だった。私を必要としてくれるのなら、そんな思いが根底にあり、お客様の希望を第一に時間の拘束が強い無茶な依頼を受けていたら、心身共に疲れ果てる日々が続くようになった。

 

 そして私は、ある時涙を流した。

 痛くもかゆくもないし、悲しいわけでも怖いわけでもない。

 ただ、涙を流した。

 その時すでに夜8時を回っており、職場には私とその上司しかいなかった。ハラハラと静かに、上司も私自身さえも泣いていることにしばらく気づかないほど静かに涙が流れていった。

 そしてどのくらいの時間が過ぎたのか、おそらく私の涙に気づいただろう上司が声をかけてくれた。

    大丈夫か。

 けれど私はまだ若く、『頑張る』をはき違えていた。

 大丈夫ですと笑い、やはり涙した。


 そして、上司は怒鳴ったのだ。

 休むことを休むな、と。


 彼は私の様子に気づいていた。同時に私が頑張っていることもちゃんと見ていてくれた。そのため、どこで線引きをして声を掛けるべきかを探っていたという。もっと早く言えば良かったと肩を落とす上司に、私は笑うことなく、素直に涙を流した。


 以来、私は休むことを仕事の一つに考えるようになった。 

 もちろん仕事自体、無理をするでもなく、無茶をすることもしない。

 でも私は毎日を生きていて、息をしている。それだけで頑張っているのだから、休養は必要なのだ。

「お休みをいただきます」

 この言葉が言えるようになった自分を、私は大切に思っている。

 大切に思っている自分を私は愛している。


 だから、私を休むときには存分に私を労ってやる。

 具体的には好きなことを好きなようにする(=させてあげる)。する、といっても何かをしなくてはならないと思うものではまた違う。なにもしなくても良い。

 この日だけは目覚ましを掛けずに朝起きる。おなかが空いていればご飯とお味噌汁を食べる。

 それから、静かに部屋で過ごす。

 なにもない床の一点を見つめるでもいいし、窓から空を見上げても良い。目を閉じて音も色もない世界に浸るのでもよい。

 そうして、私はペンとノートを取り出す。

 そこに、ただひたすら好きなものや好きなこと、色や形を書いていく。そこには私の好きなものだけを並べる。なんでもいい。それはただ書くだけである。

    それだけで、気持ちがどこかほくほくと温まるのが分かる。

 すると、ぴょこん、と胸の中に芽が出る。

 元気の芽。

 それをもう少し大きくするために、私は外に出る。

 走らない、歩くのだ。森林なんて無くてもいい(あるといいけれど、なかなかないよね)。たとえば車も人も通らない公園が良いかもしれない。空を見上げて歩く。

 胸の中に芽生えた小さな芽が空に向かって少しずつ少しずつ大きくなっていく。

 明日からまた、毎日を頑張るために、私は私をリカバリーするのだ。


 休むことを休まない。

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【今日の記念日】

9月8日 休養の日

回復を目的とした積極的な「休養=リカバリー」への取り組みを行う一般社団法人日本リカバリー協会が制定。「積極的休養」の考え方を広く普及し、休養の大切さ再認識してもらうのが目的。日付は9と8で「休(9)養(8)」と読む語呂合わせから。

記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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