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問屋街の喫茶店で

私の両親は、貴金属や婦人服の小売店を
神奈川県内で複数経営していました。
私は20代半ばから、それらの店を手伝うようになりました。
数年後には、売値が小さい物を
問屋街で仕入れも担当するようになりました。

馬喰町の問屋街の真ん中にある喫茶店で、
ランチをしながら仕入伝票を整理していた時。

ランチタイムには少し遅い店内には、
それでも多くのお客さんが居て、ほぼ満席の状態でした。
多くのテーブルは、1人客か2人連れです。
それぞれが、小売店の関係者であると分かるような会話をしています。
私は席に着くと、午前中に仕入れた商品の伝票を見ながら、
足りないものはないかと考えていました。

しばらくすると、高齢の男女が私の斜め前に座りました。
二人とも、この時間の問屋街には場違いな、
隠居暮らしのお散歩という風体でした。
それほど気にすることもなく伝票チェックを続けていると、
どこかで携帯電話が鳴りだしました。

一瞬、フロアが静まり返って、誰もが辺りを見渡します。

「はい。…はい。お世話になっております。
あぁ、その件でしたら、後ほどご連絡しますので。」
遠慮がちに会話を始めたのは、
隠居暮らし風の男性の背後に座るスーツ姿の男性でした。
男性は店内の空気を気にしていたようで、早々に電話を切りました。

私は伝票チェックを終えて、コーヒーを一口飲みました。
その時、再び携帯電話の呼び出し音が鳴り響きました。
電話に出たのは、さっきのスーツ姿の男性です。

「はい。あ、お疲れ様です。
はい。先程お電話をいただいたのでかけ直すと伝えました。
え? あぁ…、そうですか。…はい。分かりました。
はい。すぐに連絡してみます。」

どうやら、急ぎの対応が必要な雰囲気です。
スーツ姿の男性は、先程の相手に電話をするようです。

「あ、もしもし。〇〇商事の△△ですが…、
あぁ、先程は失礼いたしました。はい。申し訳ございません。
えぇ。はい。会社から連絡があって、その件を伺いまして…」

その時です。

「ああ!うるさいなぁ。ゆっくりお茶も飲めやしない!」

男性の真後ろに座る隠居暮らし風の高齢男性が、
聞こえよがしに大きな声で言いました。
店内の雰囲気は、一気に張り詰めたようになりました。
通話を続ける男性は、
小さくなって電話を覆うようにしながら相手の声を聴いています。

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