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戦争の話

私の父親は、母方の祖父より1歳年上でした。
父親は関西の城下町に、代々続いた呉服屋の跡取りでした。
祖父は漁師の三男でした。
二人とも、大正生まれで太平洋戦争を経験した世代です。


太平洋戦争が終わった後、
代々続いた呉服屋は戦後の洋装への変化に乗り遅れ、経営が傾きました。
父親がアルバイトで雇った母親に手を付けて、
最初に産まれたのが男児でした。
父親には男児が居なかったため、兄は跡取りとして大事に育てられました。

本妻さんとの間には、二人の娘さんが居たそうです。
二人の娘さんの妹が、父親とは仲が悪かったそうです。

父親にとっては、姉と私の姉妹はその二人に重なって見えたのだと、
父の死後、母親から聞きました。
父親が母親と三人の子供を連れて、駆け落ち同然で東京に来た時、
私は三歳でした。

兄、姉、私の3人の子供の中で、私だけが、理由もなく殴られていました。
父親は、小学生にもならない私を本気で殴り、
私は何度も死を覚悟したものです。
その後で必ず、私が殴られるのを眺めている兄や姉に向かって、
軍隊の話をしました。

「軍隊では、上官の言う事は絶対なんや。
口答えしよったらビンタくらいでは済まないんやで。」

「軍隊では上官の機嫌が悪い時は、
何もしていなくてもビンタが当たり前なんや。」

黙って見ている兄や姉に、得意げに軍隊の話をしていました。
今から思えば、
小さな子供に暴力を振るう自分を正当化するためだったと感じます。


ある晩、珍しく上機嫌な父親がこんな話をしました。

「軍隊ではな、新兵は風呂の時間は3分と決まっとったんや。
3分の間に全身を綺麗に清めろ言われて、風呂を出たら上官が点検しよるんやて。汚れがあったらビンタだと言うんやから、みんな一生懸命、ゴシゴシ全身を洗うんよ。そこで、ワシは周りの先輩を見よったら、先輩はゆっくり風呂に浸かっとんねん。」

目を輝かせて父親の話を聞いていた兄が、キョトンとしています。

「どうして?」

「そう思うやろ? だからワシは先輩の様子を見よったんよ。ゆっくり湯船から出て、耳の後ろを丁寧に洗うんよ。そうか!なるほど!上官が点検するのは耳の後ろってことやな。ワシは耳の後ろだけ丁寧に洗って風呂を出たら、他の新兵は上官に殴られとんのやけど、ワシだけスッと通してもらえたんよ。」

「へぇ。すごいね!」

「何事も、要領が大事ってことやな。」

感心している兄の様子と、自慢げな父親の様子を眺めて、
私は強い嫌悪感を覚えました。
同期の新兵が殴られている横を、
得意げに素通りする父親の姿が容易に思い浮かびました。
軍隊の話をする父親は、
まるで『ほろ苦い青春の思い出話』をするようでした。


母方の祖父は、戦争の話を全くしませんでした。
一度だけ、
当時私が付き合っていた男性が鹿児島の鹿屋出身だと話をした時、

「…鹿屋かぁ。あそこには飛行場があったんや。」

「おじいちゃん、行ったことあるの?」

軽い気持ちで聞きながら、祖父の表情を見て驚いたのを覚えています。
どこを見ているということもなく、ただ遠い目をした祖父の表情は、
それまで見たこともないほど暗く、寂しく、悲しいものでした。
私の問いかけに、祖父は答えませんでした。
これ以上、この話をしてはいけないと感じました。



父親も祖父も他界しています。
太平洋戦争を経験した世代の人は、多くが亡くなっています。

父の死後、母親から聞いた話では、
父親は徴兵されたものの戦地には行っていないそうです。
呉服屋の跡取り息子だったから。

祖父は恐らく、思い出したくもない経験をしたのでしょう。
漁師の三男だったから。

映画やアニメで戦争を表現する物は、少なくありません。
その多くは、主人公が格好良く活躍して、勝利します。

近年、世界情勢が不安定になり、台湾有事も現実的な問題です。
政治家の中には勇敢な発言をする人もいますが、
その人や周囲の人は戦地には行きません。

現実の戦争では、映画やアニメのような格好良い主人公は、いません。
私の祖父のように、生きて帰れる人は幸運かもしれません。
それでも、誰にも話したくないような経験をするのです。

勇敢な発言をする人は、
自分は戦地に行くことはないと確信しているのでしょう。
その上で、愛国心を煽って、自分以外の人が苦しむのを見ても、
平気で通り過ぎるでしょう。
そして、私の父親のように、ほろ苦い思い出話として語り継ぐのでしょう。

太平洋戦争前には、一般市民に選挙権はありませんでした。
権力者の都合で始められた戦争に、一般市民は従うしかなかったのです。

今の私たちには、選挙権があり、自分の意志で投票ができます。
この大切な権利を、簡単に捨ててはいけないと思うのです。


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