「王様」と「リセットボタン」

この頃のロシア中国を見ていればよく分かるが、連中は未だに「王様」を選んでいる。その逆が、新首相が2ヶ月でやめた英国や、前回、現役大統領が負けた米国日本もギリギリそうかな? これらの国は、単に「リセットボタン」を選んでいるだけ。

同じ時代にいるが、知性現象的には、「周回遅れ」に進路を塞がれているような気分。

【付記】
選ばれた「王様」が優れていれば、選ばれた「リセットボタン」が優れているときよりも素晴らしい国が実現するだろう(何しろ「王様」だから、やりたい放題)。しかし、それは、程度の差に過ぎない。

逆に、選ばれた「王様」がハズレだった場合、それは、選ばれた「リセットボタン」がハズレだった場合とは本質的に違う事態である。「程度の差」どころではない。致命的である。ハズレの「王様」をお払い箱にして、心機一転仕切り直す方法が、革命とか謎の急死とかクーデターのような、血腥ちなまぐさいものしかないからだ(ハズレの「王様」が自らの意思で自発的に退くことはない。失敗を認め、自らの意思で自発的に退けるなら、それはすでに、ハズレの「王様」ではない)。

「王様」ではななく「リセットボタン」を選ぶ賢明さはここにある。自分たちがリーダーとして選びだした人間が優れている保証はどこにもない。また、或る時点、或る段階、或る局面では優れていたとしても、人間というものは、時間の経過とともに変わるものだし、置かれた状況によっても変わる。所詮、人間の土台は生き物。何度でも言うが、人間は生命現象依存型知性現象せいめいげんしょういぞんがたちせいげんしょうという、極めて不安定でアテにならない知性体なのだ。体調も変われば、病気にもなるし、歳も取る。機械で言えば、「故障」。「初期不良」の場合もあるし、経年劣化や事故に拠る故障もあるだろうが、いずれにせよ、「故障」は起きうる。そうなったときのための対応策としての「リセットボタン」を予め選んでおくという、これこそが民主主義の知恵なのだ。

見様見真似みようみまね民主主義国やナンチャッテ民主主義国は、ここでうっかり「王様」を選んでしまう。「私達のリーダー=王」という、原始時代以来の思考停止。しかし「王様」を選んでしまうと、ブレーキの効かなくなった自動車に乗り続けなければならないし、感電するヘアドライアーで髪を乾かし続けなければならない。嗚呼、泥沼。


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