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我々が歩むべき道 ルアンポー・プラモート師

私達が進むべき道は

まず初めに

心を清らかにする訓練を

しなくてはなりませんよ

心を身体と共にあるように

訓練するのです

それは

どの修習方法でも構いませんよ

修習方法を使って

心を観察するのです

心がどこかへ逃げていったのならば

それを知ることに気づきを間に合わせるのです

対象に引っ張られて

くっ付いてしまったのならば

それにも気づきを間に合わせるのです

心を静かにするように

強制してはいけませんよ

それは煩悩と共にいることになりますからね

心が定まったのならば

智慧が開発されるのです

ルーパ・ナーマ

身体と心の真実を知っていくのです

身体とは知る対象なのです

私では無いのです

楽も苦も知る対象なのです

私達のものでは無いのです

善き事も悪いことも

私たち自身では無いのです

心そのものも

清浄になったり

考えごとをしたり

対象に張り付いたり

見るものにはまり込んだり

聞くことにはまり込んだり

嗅ぐことにはまり込んだり

味わうことにはまり込んだり

身体を触れる感覚に没頭したり

心はあれこれ思いが生じることに

没頭しはまり込んだりするのです

ですから私たちは

これらの事に気づきを間に合わせ

心それ自体も

一時に留まらず(無常;アニッチャン)

苦(ドゥッカ)であり

無我(アナッター)であることを

知っていくのですよ

すると

ナーマ(名)もルーパ(色)も心も

三相(無常・無我・苦)の下にあると

観えてくるのです

これは智慧を高めていくことなのです

ヴィパッサナーなのです

真実が観えてくると

厭離の念が沸き起こってくるのです

握りしめているものを

徐々に手放していくのです

そして解脱に至るのです

ルーパ(名)・ナーマ(色)の執着から

離れていくのです

それはつまり

世間から解脱する事なのです

世間から解脱することを

"ロークッタラ"と言います

それは世間から離れた(世間の上にある)

ということなのです

世間の影響が

届かなくなるのです

心に届かなくなるのです

仏歴2566年4月22日


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