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サティと智慧に組み立てられた功徳 ルアンポー・プラモート師

サティと智慧によって組み立てられた徳は

功徳が大きいのです

例えば

私たちが僧侶に食事を供えたり

野良の動物にエサを与えてあげたりすることで

彼らが苦から逃れられます様に

彼らが幸せであります様にと思うことは

心がクソン(善)になるのです

この部分は

よく観察するのですよ

「彼らが幸せであります様に」であって

「私がそれによって幸せであります様に」では無いのです

自分自身をそこに入れないのです

本当の功徳というものは

大きな功徳とクソン(善)が生じるものなのです

外に出さなければならないのです

取り込む為にするのでは無いのです

もしも取り込む為にするのであれば

功徳があるかというと

それでもあるのです

しかし

その功徳は小さいものなのです

なぜならば

その功徳はサティと智慧によって組み立てられたものでは無く

煩悩を洗い流す為に行うのでは無いからです

煩悩を蓄積する為の行いになってしまうからです

そして

輪廻を生じさせてしまうのです

それでも

幸せと安楽はそこにはあるのです

しかし

輪廻を乗り越えることは出来ないのです

輪廻を乗り越えることが出来るのは

サティと智慧よってなのです

仏歴2566年7月


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