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本当の慈悲心(メッター)を起こすには?ルアンポー・プラモート師

もしも

自分自身が

苦(ドゥッカ)の塊であると

観えてくるのであれば

「それ」は自ら生じてくるものなのです

この世の生き物は全て

同じものであると

観えてくるのです

私達と同じものであると

観えてくるのです

同じ種類の友人たちであると

観えてくるのです

そして

友人であると感じるようになるのです

そこには友情があると

感じるようになるのです

これはメッター(慈悲)なのです

メッター(慈悲)・マイトリー(友情)・ミット(友)

という言葉は

同じ言葉なのです

マイトリー(友情)という言葉は

メッター(慈悲)がその意味の根にあるのです

メッターを起こそうと

躍起に実践する必要は無いのです

正しく実践すれば

自然にそれは生じてくるのです

あるお坊様先生は

とても怒りっぽいお坊様でした

根本にある心が

怒りっぽい性格だったのです

しかし

煩悩から解脱した後

大変な慈悲深いお坊様となったのです

それは

自動的に起こったのです

起こそうとしてそうなった訳では無いのです

生きとし生けるものが

可哀そうに感じ

哀れみを感じるのです

それは

彼らは

無知であり

観えない為に

もがき苦しみ

それぞれが

苦から逃れようとし

幸せを見つけようとしているのですが

実際にしていることは

幸せから逃れ

苦を探し求めているのです

それが可哀そうでならないのです

この様な心が生じてくるのです

無理やりに慈悲心を起こすことでは無いのです

それは偽物の慈悲心(メッター)なのです

本物の慈悲心(メッター)では無いのです

仏歴2566年5月14日


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