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支倉常長の地チビタベッキアへ

今からおよそ400年前。伊達政宗が慶長遣欧使節をヨーロッパへ送り込みました。日本の歴史上初の外交使節団です。支倉常長の一行は石巻からサンファンバウティスタ号に乗り込み石巻からアカプルコ(メキシコ)、コリア・デル・リオ(スペイン)からマドリードに入り、バルセロナから船に乗ってイタリアのチビタベッキアへ。そしてローマに入り当時のローマ教皇に謁見しています。そのため、仙台(青葉城址入り口)、石巻(牡鹿半島)、川崎町、大郷町、アカプルコ、コリア・デル・リオ、チビタベッキアに同じ形の支倉常長像が仙台市より寄贈されています。

今から、3年前に東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県・女川の中学生男子サッカーチームを平成のハセクラ使節団としてコリア・デル・リオに派遣し「ハセクラカップ」を行いました(こちらこちらこちらを参照)。次は、コリア・デル・リオとチビタベッキアと宮城をつなげたら楽しそうと、いろいろ妄想中です。

なので(?)チビタベッキアで大歓迎してもらってます。

まずは、カルラとマウラが空港まで迎えに来てくれて、空港とチビタベッキアの間にあるサンタなんとか(笑)という町でコーヒータイム。ほぼ11月だというのに、このお天気。映画の世界。

お昼は、ステファノさんちでガーデンパーティ。

ステファノさんは、伝統工法にイノベーションを取り入れた農業&観光農業をしていらっしゃいます。

奥さん、お料理おいしすぎます。

全体は、こんな感じ。(noteって動画貼り方が分からない)


おいしく飲みました。楽しかった~!食べ過ぎたー!

そのあとは、チビタベッキア市内ツアー。英語を勉強中のかわいい高校生4人が案内してくれました(カルラは英語の先生)。

チビタベッキアは人口5万人のイタリア第2の港町。ローマ時代から、ずっとローマの玄関です。

ミケランジェロ設計の要塞
ローマ時代の遺跡
チビタベッキアのシンボル。

しかしチビタベッキアのシンボルは、こちらのキスの像。第二次世界大戦のとき、戦争に出て行く船乗りと最後の挨拶を交わす恋人の看護婦だそうです。

説明を聞いていると、ローマ時代と今も共に生きていて。第二次世界大戦で米国軍に大事な遺跡を破壊されたという話しが何度も出てきます。

そしてツアーの締めくくりは!

教会なんですが。その名も「日本聖殉教者教会」

マリア様がお着物を召しています。そして殉教者のフレスコ画。

支倉常長がいます。なんてこと。世界中で着物を着ているマリア様は、ここだけだそうです(たぶんヨーロッパで、という意味)。

そして教会の外には、支倉常長像が。初めてだけど再会した気分です。コリアデルリオでも仙台でも大郷町でもお会いしましたね。

そして宿へ。ホテルじゃなく、チビタベッキア市議のアレッサンドロが手配してくれた学生寮。快適すぎます。広い。そして洗濯できる!

もうこの時点で、かなりいっぱいだったんだけど。夜はアレッサンドロが遊んでくれました。日曜夜19時。家族連れもたくさんです。

平和な日常を体験できて幸せです。ホームステイしてるみたい。

まだ夜10時ぐらいだったんだけど、この時点でヘロヘロ。お昼食べ過ぎたし。ピザすごいおいしかったんだけど、すごく薄いので見た目ほどじゃなかったんだけど、半分残しました。

毎日毎日、楽しい体験ができて、イタリア旅行楽しいです!

#行った国行ってみたい国