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【アドラー心理学②】「可能性の中に生きる」ことをやめる

アドラー心理学①はこちら
https://note.com/ann_ann/n/n74b6b407f713

今日知り合いの女の子と会った。その後、わざと近くのファミレスで勉強する事をそれとなく伝えて、その子が来る事を期待していた。結局その子がファミレスに来ることは無く悶々としながら無意義な時間を過ごした。
ここら辺で勉強できる場所がそこしかないからとか、外で勉強したほうがはかどるからとか、自分すら騙して合理化していたが、100%その子と一緒にファミレスに行きたかったのが理由だ。
それを、あれやこれやと理由を付けて隠して、相手をなんとか自分の望む方向に誘導しようとするのは非常に気持ち悪いし、その子が来るかもしれないという「可能性の中に生きている」ことはアドラー心理学的にも大きな失敗だ。

アドラー心理学の一つの指針として、「いま、ここを生きる」がある。過去でもなく未来でもなく、現在に強烈なスポットライトを当てて生きていくことが必要だと言われている。今日のように、「可能性の中に生きる」自分は現在に意識が向いていなかった。未来の、というか妄想の世界に心を奪われてしまっていたのだ。
少し話が変わるが、アドラーが一番強調したいのは「いま、ここを生きる」なのではないかと思う。
アドラー心理学の大きな流れの中では、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」がメイントピックとなっている。課題の分離や共同体感覚、心理的・社会的目標の設定など細かなトピックはたくさんあるが、それらは大抵、この3つをより深く理解するために用いられている。
しかし、「いま、ここを生きる」に関してはあまりそれらとのつながりがない。つながりがなく、いきなり出てきた概念なのに、まるでメイントピックかのように語られているのだ。アドラー心理学の入門書「嫌われる勇気」の中でも、「普通になる勇気を持つ」という文脈からつながってはいるものの、無理矢理感は否めない。それなのに本書の一番最後の部分に、総まとめかのように書かれているのだ。
まだまだ勉強不足で推測でしかないが、アドラーは「いま、ここを生きる」ためにどうすればいいかということを軸として、理論を構築していったのではないだろうか。「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」をすれば、楽に今を生きることができるようになるよ、というメッセージを感じる。すべては、「いま、ここ」に集中するための方法論なのかもしれない。

閑話休題。

ファミレスで女の子を待っていたことについて、アドラー心理学の別の観点からもう2,3個難点を上げさせてもらいたい。


一つは、その子と深い関係になる「勇気」を持てなかったことだ。
他者信頼のステップでは、相手を無条件に信じることと同時に、相手と深い関係になる「勇気」を持つことが重要になる。深い関係になる、というのは何も恋愛関係になるという事だけではなく、純粋に深い人間的交流をすることも含む。その子に対しては恋人的な間柄になることを求めてはいない(というのも自分を騙しているのかもしれないが)が、もっと仲良くなりたい事は確かだ。深い間柄になることを恐れ、また人間関係で傷つく事を恐れるがあまり、ファミレスに誘って断られたらどうしようという恐怖心が働き、直接誘わずに相手に自分からファミレスに来るよう誘導したのだ。
その子と仲良くなりたいならば、断られるとしても、シンプルに誘うのが一番だ。それができる「勇気」を持ちたい。


もう一つ、課題の分離の観点からも問題がある。「ファミレスに来るかどうか」はあちらの課題であり、こちらから来るように誘導する事はあれど、実際にその課題に踏み込んではいけない。「ファミレスに来るかどうか」を相手の課題だと認識せず、来なかったことに対してショックを受けたり、期待を持ち続けている様は、「心理的に相手の課題に踏み込んでいる」状態だろう。課題をしっかり分離して、自分にできることだけをやるべきだ。

アドラー心理学を体得するためには時間がかかる。今後も勉強を続けていきたい。


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