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人生とか運とかバランスとか

テレビで、バトミントン代表の桃田選手の怪我のニュースをみて思った、彼の人生における浮き沈み具合。そこから自分にも当てはめて考えてみたという話。

ずっとバトミントン選手として一線で活躍し、圧倒的強さを持つ選手だということは、ファンでなくてもニュースで知っているし、たしか数年前に違法賭博で活動自粛、1年後に復帰し、あっという間にトップに返り咲くわけよね。そこからはオリンピックまで順風満帆かと思いきや、オリンピックを控えた今年、先日のマレーシアでの事故と怪我。なんという運気のアップダウンというかなんというか気の毒としかいいようがない。

「運」というとなにやらスピ的な響きになってちょっとアレだけど、人生の波の振れ幅って、どこかでバランスを取るようにできているのかなと思ったわけですよ。桃田選手は圧倒的強さでアスリートとして順風満帆な中で、ネガティブ要素が現れるということは、物事はすべて陰陽で表されていることを考えると、どちらかが強くなりすぎるともう片方が必然的に出てくるのかもな~と。

よく事故を起こしたら宝くじ買ったほうがいいよとか、その逆のことを聞いたことありませんか? ポジティブもネガティブも表裏一体で、どちらかが強く出るともう一方も現れるということ。これが宇宙のルールだとしたら、今、自分が置かれている状況や過去の出来事に思い当たるフシがありすぎて、ガッテンボタン連打ですよ。

かくいう私も、一般的な人に比べたらそこそこ波のある人生。不安定だらけだし、事故も怪我も病気もしょっちゅうだし、人がやらないような経験もしたし、計画立ててもそのとおりにいかないような人生。人に「先祖供養したほうがいいんじゃないの?」と言われたこともある。どうしてこんなにネガティブなことが何度も起こるんだろう?

今だからこそ振り返って気づけたこと。

私がこうもいろんなことが起こるのは、我欲が強すぎて周りを顧みずにいたから、もう一方のネガティブ要素も自動的に作動したのではないか。あらゆる過去の出来事を思い返すとほぼほぼそうなっていることが、私の中でバチンと繋がった感じがしましたよね。

一時期、スピリチュアルに長年ハマっていた頃、そういう世界では感謝することを推奨されるし、その中にいたときは感謝できているつもりでいたのよね。今思うと、その中で酔っていただけで表面的な感謝だったんだけど。

それでも、上辺だけの感謝の中にいることもまあまあ効果はあったようで、さほど悪いことは起きなかった記憶があるのよ。だけど、飛び抜けていいことがあったわけでもない。そういう意味ではいい具合にバランスがとれていたんでしょう。

その後、スピ界隈が嫌になって現実に生き始めたとき、もともと我が強いものがさらに強くなりすぎて、感謝なんてしないし(上辺だけの感謝なんて感謝じゃねー!とか思っていたし)、自分のことしか考えないようになったら、事故、病気、怪我、人間関係不和とあらゆるネガティブ要素がふりかかってきた。

今思い返しても、当時は本当に自分のことしか考えないし、感謝もないし、因果応報というかそうとしか思えない。とにかくバランスが取れていなかった。我欲が強ければ強いほど伸び切ったゴムのようにバチンと切れて壊れるのよ。

今は、それらのネガティブ要素にまみれた自分を見つめることによって、やっと自分と周りが見えてくる。

これは年齢のおかげか、最近感受性が高まってきたせいかわからないけど、本当の意味で「感じて謝る=感謝」ができるようになってきたんですよ。上辺だけじゃなく心からね。もう感謝というより懺悔だけど。悔い改めるところからスタートしてるかんじね。

50を過ぎて病気したこともあって、どうしたって昔の元気なころに戻ることができない。いろんな面で自らの力が及ばず無力であることや、できないことも徐々に増えてきたことを悟ったので、もうその分だけ感謝しかなくなってくるってことにも気づけた。だって、自分ができないことを他の人がやってくれるんだよ。こう感じることができるのは歳を重ねてきたからこその利点だと思ったわよね。

自分の力でなんでもやってやる!とエゴ丸出しで強欲に生きることもまた若さだしそれもアリだけど、これだけだけだとバランスが保てない。必ずなんらかの歪みが現れる。なんかもう、それがこの世界の見えないルールみたいよ。

こういうことに気づいてからの最近は、無力前提の自分(自己肯定感が低いわけではないです)がまずあるので自動的に謙虚になれる。謙虚さがやっってくることでやっと人を思いやることができるんだとわかったわ。

そこから家庭内で「循環」を意識するようになりました。今までは自分ばっかり家事やってもー!!と怒りが湧きまくっていたし、自己中すぎて奪うことばかりのクズそのものでしたが、私がこうして病気して無理せず働いたり、生きていられるのは夫が働いてくれるからできること。なんてことでしょう! 逆の立場なら捨てたくなるような妻なのに! だからこそ感謝の言葉も以前に比べたら増えたわ~。

そもそも、お互いの性別も役割も違うのだから、お互い様でいいじゃない。お互いにできることをやればいい。

まず、夫が働いてくれたお金で食べることもできるのだから、せめて買ってきた食材でなにか作る時工夫をしてみよう、夫のお金を目に見えるかたちで還元しようと思うようになり、できるところから少しずつやってみたら、不思議と夫も私に優しくなったし、私がキーキー言わなくても片付けをしてくれたりする。これこそ循環だし、バランスなんだわよ。

私が逆流していた流れを循環させるようになったら、お互いに思いやれるようになってきたし、ときどき衝突はあるけど着地点を探そうと思える。よい流れ、よい方向にいくということはこういうことなのかと、小さいながらも実感中です。


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