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流浪の月

汝星のごとくを聴き終えて、作者の凪良ゆうさんの
他の作品も聞いてみた。

映画化もされた作品であり、
題名は知っていたが
物語の内容は知らなかったが
子供時代の、子供自身が見えている世界の
独特の世界観が、自分を子供時代の目線に
戻してくれる感覚があった。

自分の育った時代背景とは違うが
子供特有のものの見方を
懐かしむ感覚を感じられた。
誰もが子供時代に同級生に感じたこと
大人とはまるで違う価値観の中で
生きている。
この社会は、大人が法律を作り
暮らしやすく設計された世界なのかもしれない。
弱者である子供は、今でこそ権利なるものを
主張できるが、それも守ってくれる大人が
あってこそ。
もし守ってくれる大人がいなければ?
子供は途端に追い込まれてしまう環境に
置かれてしまう存在なのだろうか?
よく子供は社会の宝と言われる。
本当にそう?
子育ての責任は保護者主に母親
母親に向けられる責任の多いこと。
日本は、母親が全てという価値観が大きいと
物語を進めていくうちに
思えてきた。
主人公の女の子の養育を
放棄した母親。自分の欲望が第一。
独身女性なら咎めれることもない。
まして男性なら。人生経験の一つともなる。
でも、残された子供は自分で選べない。
置かれた環境で生きていくしかない。
もう一人の大学生の男の子の家庭の
母親は、主人公の母親と真逆な人物として描かれている。
足して2で割ったらちょうどいいのにと
両極端な個性を持つ人2人いると
そう言われることがある。まさにそうだ。
2人の個性がうまく配分されていたら
子供たちは子供らしく成長できたのかもしれない。
あんな悲惨はことを経験せず大人になれたかもしれない。
でもそれも、母親に完璧を求めてしまう価値観故の
自分の見方なのかもしれない。
人間の成長過程における
安心な環境は、幼少期は、保護者である親に委ねられ
それが基盤となって大人に成っていくが
その基盤がないまま大人に成ってしまう人も多くいる。
きちんと衣食住を整えてやること以上に
精神面の安心や、心の落ち着きを満たしてやることが
大事なのではないのかと思わずにはいられない。

辛いことと向き合うときに目を背けたくなるし、
物語が進むにつれて、うまく自分の気持ちを表現できずに
もがき苦しむ姿を想像し、胸が締め付けられた。
でも、結局は人が人を癒していくんだなと
まだまだ前途多難な人生に立ち向かうけれど
精神的な充足を満たした2人を応援したくなった。

ニュースになる事件の背景には
様々な真実。それぞれの視点、生い立ち、
きっかけ。毎日様々な事件が起き
一つ一つには記憶が残らず、風化していくけれど
当事者の気持ちは風化せずに
蓄積されていくし、他人事にされてしまうがいざまた
注目を浴びれば、途端にまた当時に引き戻されてしまう
怖さ。背負う荷物が下ろせないことがこのSNSが
普及したデメリットなのかと思う。

重く苦しい作品だけど、
いろんな気づきをもらえる作品である。

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