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わたしは深い友人関係しか築けない。


この記事を読んで、同じZ世代でもわたしの築いている友人関係とは全然違う友人関係を築いている人がいると知って、考えてみたくなった。初めは100文字程度で感想を書こうと思っていたけれど、思っていたよりも言いたいことが増えてしまったのでnoteにまとめてみる。


この記事によれば、
若者が友人関係をうまく築けない要因として、

80年代以降、「自由で自発的なもの」に友人関係は変わり、関係を維持するために要求されるコミュニケーション技能が増えた。自分から働きかけなければならず、失敗すれば失われる関係になった。そうなればうまくいかないことも増え、あるいは及び腰になるのは当然。さらに90年代には情報通信端末が普及し、友達同士が空間を共有することすら必須ではなくなりました。さらに積極的に振る舞わないと、友人関係が維持できなくなっていった。それが2000年代以降、加速して負の面が顕在化していった。

各種社会調査上でも友人関係に対して抱くのは80年代半ばまでの「開放的で楽しい」という感覚よりも、「付き合っていくためには気を遣わないといけなくて心配」という側面が強くなっていく――この傾向は今に至るまで続いている。

と書いてある。
でも、今のわたしには全く共感できない。
だけど、共感できないのは中学時代と高校での経験があるからだ。

わたしは中学時代まで、その場の空気を読んで、本音は言わず周りに合わせて、お互い言いたいことは言わない、察してほしい空気をお互い察する、表面上の友人関係を当たり前だと思っていた。クラスメイトはもちろん部活のメンバーなど、仲の良かった4人以外には、今はそんなこと全く無いけれどもしかしたら4人にも、表面上の関係を築いていたのように思う。カーストはもちろん存在していたし、嫌われないように、目立たないように、出る杭は打たれるから、そんな空気の読み合いが当たり前だった。関係を維持していくためには、嫌われないためには、気を遣わなければいけなかった。

そんな空間が嫌だった。そうやって、くだらないことに気を遣って、自分を偽って生きる空間から抜け出したかった。

そして、ついに高校生になった。だけど、初めは高校の同級生たちと全く価値観が合わなかった。

みんな中学時代、友達いた?

そんな質問をしてしまいたくなるような、変人という言葉がぴったりで、もはや普通とか当たり前とかがどこにも存在しない、そんな同級生たちの価値観が少しも理解できなかった。だけど、変人というのは悪口じゃない。人なんて全員変だ、みんなそれぞれの個性がある、人と違うなんて言うまでもなく当たり前で同調する必要なんてひとつもない。だけどその当時、カーストがあって、空気の読み合いが当たり前で…あれだけいらないと思っていた中学時代の当たり前がどこにもなくなったことに、わたしはどうしていいか分からなかった。

一番理解できなかったのが、女子特有の"グループ"とかつるむという行為が存在していなかったこと。表面上の関係が全くなかったことだった。グループになるとすれば2、3人で、誰も空気を読もうとか、嫌われないようになんて考えていなかった。つるむぐらいならひとりでいるというのが普通で、ひとりでいたら"ぼっち"とか"友達がいなくて恥ずかしい"もんだと思っていた自分には、考えられないことだった。

だけど、初めは理解できなくて不平不満ばっかり言っていたわたしも、気づいたら周りに影響されていた。空気を読んで表面上の友人関係を築くなんてバカバカしい。そうするぐらいなら、ひとりでいたほうがいいと思ったし、周りを気にすることなく、本当に心を開ける、本音を曝け出せる友達だけと付き合っていけばいいのだと気づいた。いい意味で、同級生たちは人に興味がなかったのだろう。自分軸で生きていだのだろう。初めは、そんなんだから友達がいないんだよと、同級生たちを小馬鹿にていた。集団の中で生きていくには、わたしみたいに同調圧力の中で自分のキャラを演じて人気者でいようとすることが一番大事なことだと思ってた。だけど、間違っていたのはどう頑張ってもわたしの方だった。

だから、記事のように思う学生の気持ちも十分わかる。だけどそれは、年齢が上がるにつれてそんなことどうでもよくなって、なくなるものだと思っていた。わたしがそうだったから。だけど、年齢はどうやら関係ないらしい。未だにそのような中で生きていかなければいけない人たちがいることに驚いた。



また記事には、親友は幻想だとし、

学生達は友人関係に対して高い理想を持ち、「でも、そのような人はいないから寂しい」と感じています。ではそのために積極的に行動しているのかといえば「自分を晒すと拒絶されるかもしれない。だからできない」。しかしお互いに自己開示しないと何でも言い合える理想の関係は手に入らない――そんな厄介なジレンマの中にいます。「友人」はこの不安定な社会のなかでなくてはならないもの、あると良いものと捉えられている。けれども「親友」については自信を持って「いる」と言える人はおそらく今や非常に少ない。幻想に近いものになってしまっています。

とあるが、これも今のわたしには共感できない。
だけど、共感できないのは高校時代の部活の経験があるからだ。

高校時代、部活の同じバンドメンバーとも価値観が合わなくて今度も衝突した。空気の読み合いで争いごとを円満に解決したい私と、正面からぶつかって本音で話し合って解決したいメンバー。大好きだから信じていたのに、裏切られて傷ついたこともあった。今までの人生で一番関係が上手くいかなかったのは、確実にこのバンドメンバーだ。どうしてこんなにもうまくいかなかったのか、今はもはや笑い話だけど思い出したくもない。結局、バンドはわたしの知らないところでの話し合いで解散した。


それから、今のわたしの中では、友達を深い関係の友達とその予備軍、そして他人という主に3つの分類に分けるようになった。人間関係をなんとなくじゃなくて考えて作ってしまうようになった。簡単に人を信用しなくなった。世間一般に親友と呼ばれるであろう、一番の友達と言える深い関係の存在が約15人、これからそうなるかもしれない出会って一年経たないぐらいの予備軍が3人ぐらい、そしてそれ以外の友達?は、全員ほぼ他人としか思えなくなった。

だから、基本的にほとんどの友達のことは信用していない。その人を心から信用していい、深い関係になってもいいんだと思えるまでに1年以上は絶対にかかる。それまではどんなに仲が良さそうに見えても、心の中で一線を引いて、まだこの人は自分を裏切る可能性があると思いながら付き合っている。本音で話しているように見えて、相手の顔色を伺っている。たとえ裏切られたとしてもそれは想定内で、そのような人だったんだと静かに距離を取るだけだ。そうやって、もう傷つかないように予防線を張って生きている。

この人は自分を絶対に裏切らない、信用してもいいと思えたのなら、わたしはその人と深い関係になった証だ。自分が何を言っても何をしても絶対に許してくれるし(もちろん道徳的な範囲で)、同じようにわたしもその人が何を言っても何をしても絶対に嫌いにならないし、裏切らないと自信を持って言い切れる。信じて欲しい。わたしの居場所はここだ、自分を曝け出せる空間でありのまま生きている。



高校時代と中学時代、中身は違うけど人間関係の悩みばかりで、苦しくて、辛くて、たくさん振り回された。心理学に興味を持ち始めて勉強し始めたのも この経験があるからだ。理解できない他人と、理解してもらえない自分と、わたしは仲良くしたいだけなのに、どうしてこんなにも悩まなければいけないのだろうと何度も泣いた。でも、高校を卒業する頃には、中学までの価値観が歪んだものだったことに気づいたし、高校時代の部活の経験も、今のステキな人間関係のためにあったのかとも思う。




わたしは問題が起こったらその解決策まで考えてから終わりにしたい。今回の記事の問題の解決策も考えたけれど、これはそんなことどうでもいいと思う同じ価値観の人が集まった集団に所属することでしか抜け出せない気がした。

わたしは、小学校、中学時代からそんな空間が嫌だったけれど、それを好む?多数派の集団の圧力の中では、我慢しているしかなかった。いやでも表面上の関係を築いていかなければならなかった。だって逆らったら嫌われる。一体誰がそれを好んでいるのか分からないけど。
抜け出すことができたのは、確実に出身高校に入ったからだ。それが、そんな空間から抜け出したいと思って勉強を頑張って入った、地方で一番偏差値の高い高校だったからなのかもしれない。そして大学も、もう2度とかつてのような空間にいたくないと、浪人して第一志望の大学に入った。もはやそんな空間がトラウマに近いのかもしれない。高校も今の大学も、わたしの周りにそんな関係は存在していない。わたしがやりたいこととか全て抜きにして、人間関係の雰囲気を一番重要視して決めた空間だから。集団の雰囲気が関係しているのは確実だ。でも、それが偏差値かはわからない。同じ偏差値の違う環境にいたことがないから。



わたしは、深い友人関係しか築けない。自分を晒すと拒絶されるかもしれない関係なら、絶対に作らない。そんな友達、はじめからいらない。

この価値観もきっと歪んでる。だけど満足してる。毎日大好きと言ってくれて(←びっくりするけど本当に誰かしら友達に大好きって言ってもらえる)、一ミリも気を使わなくて、心許せるなんでも話せる友達がたくさんいることがすごく嬉しい。こんなに愛されてる人なんて自分ぐらいじゃない?と自分大好きになってしまいそうになる。わたしもそんな友達のことが大好きだ。だから、たくさん大好きって伝えてしまう。いつもかまってちゃんでごめんね、ありがとう♡


2021.4.1

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