見出し画像

愛と自己犠牲。


相手のことを全て受け入れて、許さなきゃという決意は、相手に自分の全てを受け入れて許して欲しいという自分勝手で特大な要求、いや受け入れて許されて当然だという義務までを押し付けることでしかなかった。


いや、初めは逆だったかもしれない。


自分を全て受け入れて欲しいから、相手の全てを受け入れなければ。この人は自分の穴を埋めてくれるかもしれない。期待から生まれた、覚悟。

自分が相手に認めて欲しいと願った分だけ自分が苦しみ、相手を受け入れる痛みを感じた分だけ、相手に救って欲しいと願った。


自分の全てを受け入れて許してほしいと意図的に要求したわたし。同じことを要求している、そう感じさせた相手は、同じ罪なのだろうか。




恋愛になるとみんな怖い。
私の仲良しの友達たちで、たくさん大好き言ってくれて、あんなにかわいくて優しくて、普段は穏やかで、この子が怒るなんて想像できないないってような子たちが、彼氏のことになると、ボロクソに悪口言えて、酷いことを平気でできる。当然のように振るし、少しの罪悪感を持ちながらも、もう無理!と別れを告げる。

え?自分が一番かわいい、が、強すぎんか。
そんなんで振る?本当に好き?
わたしならそんなことしないんだけど。

と思ってしまうわたしは、心が狭いな、怖いなと、彼女たちを軽く軽蔑しながら、全部許してた。へー、そうですか。それでも私はまだ好きだよ。わたしはあなたの全てを受け入れるって決めたからね、って。だって好きだから。


本当は、好きか執着か依存かわからない。
そうやってなんでも許してしまうのは、私が自分のことを大切にしてないからなんじゃないかって、疑問を抱き始めた。

それでもいいよ、そういうふうに扱われてもいいよって、そんな価値ある人間じゃないし、傷つけられてもしょうがないねって。あなたが必要なのはわたしだけだもんね、嫌われるのは怖いし、手放すのはもっと怖い。自分より大切な人を失いたくない。いいよそれで。そうやって好きな人のためなら、どこまでも自分の価値を下げていた。

わたしだって怒ったことないわけじゃないし、不満だってあった。本人の前じゃなきゃ悪口だっていくらでも言えた。

でもやがて消えていった。相手に言おうと思わない。
いや、そもそも付き合ってないし。

相手への怒りや文句は相手の分析に代わって、自分の分析に変わる。よくいえば、全部自分の価値観に消化される。悪く言えば、相手を傷つけるぐらいなら、我慢して自分が傷ついた方がいいと思ってる。自分の価値観をねじ曲げる。相手はそうじゃないとしても、わたしはそういう覚悟で近づいた。こだわりを捨てた。相手がそうしたいならそれがわたしの正解。相手の意見を尊重することが愛じゃん。

受け入れるために、自分を犠牲にした。

自分のこと大切にしてない。
自分のことが好きじゃない。





わたしの友達たちや母親は、わたしを振った相手のことを、あっちが100%悪いと口を揃えて言った。

わたしのこと大切にしてない。

もう絶対に話しちゃダメだし、会っちゃダメだよ。

自分のことしか考えてないよね。

都合が良すぎんか?

ラインもインスタもブロックしな。

付き合わなきゃ遊ばないぐらいの気持ちでいいんだよ。


それなのに、わたしは、振られてから3週間ぐらい、振った相手のことを全く悪いと思えなかった。1週間ぐらいは普通に話してたし、友人が皆止めなきゃ、危うく遊びの誘いに乗るところだった。

別に彼と付き合いたいという気持ちも、好きという気持ちもほとんどなかった。傷ついたは傷ついたし、裏切られたは裏切られた。でも、別によくない?彼はわたしを誤解してる。誤解を解いて欲しい。話せばきっと伝わるだろう、わたしはそういう人じゃないって伝えたい。そんな風にずっと思ってた。

ただ縋っていた。
なんとなく依存先を失ったようで寂しかった。
都合のいい女になりたくないのに、
都合のいい女でいたかった。





だけど、みんなの意見を聞くうちに、だんだん自分の気持ちが変わっていった。


どうして自分は傷ついているのに、
彼はのうのうと楽しく人生を送っているのか?

どうして当たり前のように今までと同じように、
わたしに関われる?

少しぐらいは申し訳ないという
気持ちを持つものじゃないの?

どうしてわたしは自分を大切にしてくれない人に
優しさを提供しなければいけないの?

今後も今まで通り仲良くしようって電話のセリフ、
わたしが心の底から同意したとでも思ってる?

わたし含め周りの人たちにどれだけ気を遣わせて
るか、絶対に自分では気づいてないよね?

人の気持ちとか考えたことある?

人の立場に立っているようで、
ただの自己中なだけじゃん。


絶対に許さない。復讐したい。

自分を傷つけた相手を心の中で何度も殺した。

他人は自分が負った傷の責任なんて、絶対に取ってくれない。嫌だから駄々をこねたって、認めたくないから反抗したって、現実からは誰も自分のことを救い出してはくれない。それを初めて知ったのは、クラスが嫌だったから不登校になって、元担任に復讐しようとした時だったか。

相手が自分を傷つけた人だとしても、傷つけ返す人にはなりたくない。復讐なんて意味ない。私が傷を負わせたら、そのトラウマの責任は誰が負うのか。でも、人のこと傷つけない人間であり続けることは、人に傷つけられる人間であり続けるということになってしまうのか。





わたしは逃げるしかない。
無責任かもしれないけど、都合がいいかもしれないけど、彼から逃げなきゃ。出来るだけ遠く。もう彼を思い出さないぐらいに遠くに。


自分を大切にしてくれない人から離れる。
自分を傷つける人には近づかない。
逃げることは悪い事じゃない。わたしの優しさは、自分を大切にしてくれる人にしか使わない。それがきっと自分を好きになるってことだ。


インスタもラインもツイッターも、ブロックしたわけじゃないし、今後ブロックするつもりもない。でも、話しかけてこない限り話すことはないし、今後遊ぶつもりもない。

彼に自分のことわかって欲しいなんて、もう一ミリも思わない。いくら伝えたところで、彼は"自分が悪かった間違っていた"なんて絶対に思わない、そういう人なのだ。そういう人じゃないとしても、自分だけは本性を知ってあげよう彼はそんな人ではないと思うよと、彼を良人にして庇ってあげることはもうできない。向き合う事はできない。なぜあんなに好きだったのか、今となってはもはやわからない。





わたしを受け入れてくれると思った人は、自己犠牲を強いてきただけだったのだ。全て受け入れる苦しみを味わいたくなかったら、全て受け入れて欲しいなんて要求をわがままを抱いてはいけなかったのかもしれない。彼に自分の穴を埋めてもらおうとしていただけだった。どこまでも自分の価値を下げ、自分を嫌いになるしかこの要求のゴールはなかった。


変な日本語だけど、本当はもっと傷つくことができる。これ以上、自分を傷つけることができる。人生の苦しかった瞬間に比べたら、全然どうってことない。傷つきすぎて、強くなりすぎてる。


だけど、一番に大切にしなきゃいけないのは自分だ。

愛するとは、きっと自分を犠牲にしてまで相手の味方でいる事じゃないんだ。そこまでして、手に入れなきゃいけない、大切にしなきゃいけないものなんてない。悲劇のヒロインを演じることは、身勝手な期待を相手に押し付けていることと同じなのかもしれない。

わたしは今回の恋愛で、人生においてたぶんとっても大切なことを学んだ気がする。

2021.10.31

好きな人との恋の終わり。関連記事↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?