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無償の愛はどこにありますか。



愛してよ!わたしなんだから、無条件に愛してくれるでしょ?何したって許してよ。

自己愛的な気持ちと。

ごめんね、こんな自分で。嫌いになるよね、分かってるんだよ。それなのにいつもありがとう。

それに対する自己嫌悪みたいなもの。


二つの気持ちが葛藤して、

気を遣いたくないよ、ありのままでいたいよ。
何もしなくたって、あなたの一番でいたいよ。

永遠の保証が欲しい。わたしがわたしであればそれだけで愛される、無条件の愛が欲しくなる。







わたしの奥深く、中心部、誰にも見えないところに、とてつもなく大きな自己愛が潜んでいた。



感謝。謙虚。誠実。


それっぽい言葉を並べて、自分をよく見せている。本当の自分を隠して、見なかったことにして、偽りのみんなの期待する"いい人"を演じているのではないかと気づいてしまった。

だって本当の自分、見せたら嫌われる。
誰にも本当のわたしを見せられないという孤独。誰と一緒にいたって満たされることのない欲求。そしてその欲求は、恋という感情で満たそうとしていた。

それなのに、
恋愛は自分が孤独であるという悲しい現実を突きつけられることと同義なのかもしれない。


こんな自己愛、心の闇に持っているのは、
わたしだけ?やっぱりわたしは孤独ですか?





あなたがいなくても大丈夫。
そう思えるようになるまで、誰かと付き合えないと思っていた。

わたしは今、もう大丈夫だと思った。
強くなった。あなたに嫌われても、わたしの価値は変わらない。1人でも生きていける。だって、わたしにはたくさんの友達と家族がいてたくさん毎日愛されているから。





恋愛って感情は厄介だった。


昔の自分に戻ったみたい。
一ミリも強くなってなかった。
あーでもないこーでもないって本音と建前と理想と現実を行ったり来たりして、
嫌われたくない自分が、いや
"自分だから嫌われるわけないのに嫌われるかもしれない"という怖さが、わたしを引き留めた。

この自己愛は、自分が自分を好きであることじゃない。愛して欲しいと思った人から、無条件に愛されると思ってしまうことだ。


きっと分からない人にはわからない。
唯一1人の友達にだけ、この厄介な自己愛について打ち明けた。嫌われたらどうしようって怖かった。でも5年以上一緒にいて今更隠すことでもないと思った。

彼女は、今更どんなわたしのことも嫌いにならないよって言ってくれた。そして、わたしが嫌われる勇気を愛読書にしてたこと思い出したと言われた。


わたしは、本当の自分を見せることで、
嫌われることを恐れているのかもしれない。
つまり、ありのままの自己愛に溢れたわたしは誰からも嫌われると思って生きてるのだ。
だから、孤独なんだ、寂しいんだ。



毎度毎度こうやって辛くなるのに、
恋愛の感情には中毒性がある。


貰えばもらうほどもっと欲しくなって、
求めて、足掻いて。

どうして?もっと愛してくれないの?






何が言いたいのかも何をしたいのかも分からなくなった。恋愛をするたびにこんな気持ちになる、そんな自分が嫌だ。

性格は変えられないけど、考え方なら変えられる?この誰にも見せられない絶対的な自己愛、どう処理すればいいのかまだわからない。寂しいよ。



2021.1.29


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