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優しさの壁。

少し前に、Twitterで

"優しさで壁をつくる人嫌い"

優しくされることには、
踏み込んでくれない虚しさがある。

というような投稿を見た。

妙に納得した。嫌いではないけど、わたしも悲しくなってしまうことがあるからだ。

だけど、優しさで壁を作ってしまうその気持ちは痛いほどわかる。だってわたしのことだから。わたしが傷つかないための壁に誰かがぶつかってケガをして欲しくはないとは思うけれど、みんなとの間に分厚い分厚い壁をつくって生きている自覚がある。


相手の"優しさ"を、相手が意図的につくった壁だと感じても、わたしは相手がどんな人なのか、自分と気が合うかぐらいは話していればなんとなくわかる。それは、感覚的なもので絶対的特徴はない。

だからそういう人でも、自分が見極めた人なら自分には扉をつくってくれるものだと思っていた。

だけど。
うまくいかないこともあるのだと最近は思うのだ。




最近、「言葉にできるは武器になる。」という本を読んだ。

自分の考えていることや感じていることを、相手に伝えるために「伝えよう」と思ってどんなに言葉を尽くしても、実は「伝わっていなかった」という問題が生じる。「伝わった」という状況は、話す側と聞く側の共同作業によってもたらされる。しかし、受け手の感じ方を変えることは難しく、伝わる精度を高めるために変えることができるのは、伝えようとする自分以外いないことは明らかであろう。(要約)

きっとわたしには、自分のことや思ってることを、ちゃんと正直に、相手に伝える力が足りないのだろう。その理由が、相手を単なる友達とは思えず、それ以上に考えてしまうからなのも分かっている。

相変わらず不器用で嫌になっちゃう。



だけど、自分がありのままでいたら失敗しないと学んだはずなのに、ありのままでいたってうまくいかないこともあるなら、これはありのままだって信じていたいだけなのかもしれないとも思う。そりゃあなたの前では素でいられるって信じたいじゃない、だって好きなんだもの。

この気持ちに嘘はつけない。

話したいことを毎晩推敲してばっかりいる。

人と繋がるって、壁を壊すことじゃないですか?

どうしたら伝わりますか?





ついでに、優しさの壁に関連して。

人間関係の本質は、自分に必要な人とあまり必要ではない人、自分を必要としてくれる人と自分を必要としていない人を見分けることなのではないかと思い始めている。そして、自分に必要な人と自分を必要としてくれる人をどれだけ大切にできるか。

その上で、必要じゃない人たち含めた周りの全て人ひとりひとりと、どの距離感で付き合っていくか、それを掴むことが大事なのだと思う。


これも結局、わたしが生きやすい世界を作るための気づきなんだけど。わたしが生きやすい世界はわたしにしか作れないからね。

2021.5.21

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