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たぶんすごくながくなる、まだ始まったばかりの日記

三原色、居場所

2023/06/24

夫が洗濯物を干すのを手伝ってくれなかった。食卓にお昼のそうめんを並べたあとで洗濯が終わっていたことを思い出したから、「先に食べていて」と言い置いて私は席を立った。干すものはたくさんあった。ベランダと脱衣所を行ったり来たりしているあいだ、夫はひとりでおいしそうにそうめんを食べていた。自分で先にどうぞ、と言ったくせに、ほんとうに手伝ってくれなかったことが無性に悲しくなって、私は伸びかけたそうめんの前にくたりと座ってさめざめ泣き出してしまった、(うわあ、めんどくせえ女。)

どうして欲しかったのか、どうして手伝わなかったのか、私たちは順番に話をした。私が育った家庭と夫が育った家庭は、よその国どうしくらい、全然ちがう。ちがうってことがわかってよかったねって、私たちは結局そういう結論に達して、きちんと仲直りをした。これは喧嘩にカウントされるかな?喧嘩じゃないと思う。私は言った。いつも私が勝手に拗ねたり怒ったりしているだけ、優しい彼は毎回全部受け止めてくれるから、バトルになったことはいちどもない。

その日の夜は久しぶりに妹とふたりで出かけることになっていた。まだ少しぎこちない夫に、夕飯つくっておこうか、と聞いた。いや、自分でやろうかな。油そば。キャベツある?できたら写真撮って送って、と私はしずかに笑った。

夕方と夜の間くらいの時間帯になってから、私と妹は車に乗りあわせて出発した。行き先はとなり町にあるジャズ喫茶で、今日は夜から、顔見知りのレコードショップのオーナーがDJをするらしい。たのしみ。足どりも軽くなる。(運転中なのでこれは比喩。)

超型落ちの私の車にはBluetoothがついていない。最近やっと購入したAUXのケーブルを見つけて、妹はよろこんだ。最近聴いている曲を教え合う。お互い、相手がすきだろうと思うものが簡単にわかって、ああ、いい!となる沸点も、通い慣れた道のように当たり前にわかって、それがとても心地よかった。彼女のウルフカットや細い首に巻かれた無骨なネックレス、ラフなTシャツとパンツは、これまで身につけていたどんなものよりもぴったり似合って見える。私は例によって全身をベージュとアイボリーで固めていて、「ベージュ女子じゃん」と妹は笑った。「ベージュ女子とも違うくない?質感がもう少しガサっとしてるの」「たしかに」古着屋で買った硬いシャツみたいな手触りの襟付きジレ、もちろんベージュ。すそをひるがえして、道を歩きたい気持ち。

まっくらになった路地の片隅で、ジャズ喫茶は居心地の良いジャズバーに変身していた。顔見知りのDJさんにあいさつをして、カウンターに腰を下ろした。チルなビートと厚みのある音の束が空気を揺らす。気持ちよすぎ。この空間においてお酒を飲めないの、なにかの罰?とまで思うけれど運転手だから仕方ない。きれいな色のソーダを注文して、私たちはそれから、まず喋って、そしてまた喋って喋って、無意識にリズムに体を委ねてたゆたいながら、とにかく喋った。ときどき会話を止めては、この曲めっちゃいいんだが!?と言ってDJさんにアーティストを尋ねた。だいたいが自分のApple Musicにすでに入っている人たちだった。好みがブレなさすぎる、、、と笑った。

つい最近一人暮らしを始めた妹は、まえよりだいぶ調子が良さそうだった。肩の荷をちょっとだけおろしたように見える。でもそういえば私だってそうで、私たちずっとちょっと離れたポジションから同じものを見て育ってきて、そこから背負ってきた何かしらのものから、ふたりとも楽になろうと試みている途中で、だから例えるならば、戦友みたいな関係。家族のこと、結婚のこと、やりたいこと、5歳年下の妹に気付けばなにもかも話していた。彼女もたくさんのことを私に語った。もう夫婦喧嘩した?と聞かれたから、してない、と笑って答えた。

しばらくして、近所で最近レコードショップを始めたというお兄さんが隣の席にやってきて、店員さんの綺麗な女の人と、お兄さんと私たちとで少しおしゃべりした。透明カップに並々注がれたジンをすすりながら、ジャズが好きなんて大人っぽいね、とお兄さんは言った。母がすこし音楽をしていたこと、子供の時からジャズとかボサノヴァ、ラテンなんかを自然に聴いて育ったこと、だから細胞に擦り込まれちゃってること、などを話した。姉妹で同じ趣味だなんて珍しい。実はもうひとり妹がいるんです、みんなどこかしら好きなものが被っていて、あれ、三原色の図みたいな感じで。妹がテンポよく答えた。いい例えだな、と思った。

またきます、と言い残して、私たちは店を出た。空気はちょうどよく涼しく、それでいてちょうどよく湿っていて、年季の入った街並みは映画のセットのようにほの暗かった。遠くで信号が赤や青に光っている。綺麗。音に浸された脳内がポーッとあつくて、でも手足はひんやりとしていて、ハイになった私たちは車が一台も通らない道路の上を走った。泳ぎ回るかのように、とても気持ちよく。「私の居場所はここだったかも」冗談まじりの、私のつぶやき。

カーステレオでTomMischを流して帰った。私の車のステレオは重低音が無駄によく響いて、ふたりで嬉しがった。曲のベースラインだけ歌えるもん私。わかるー、最高。振動がからだの深いところを揺らす。地球のプレートみたく、ちょっとずつずれていく気がする。いつだって私たちは動いている。見えるところも、見えないところも。携帯がふるえて、闇に浮かぶ見慣れたアイコンに触れると油そばが現れた。麺の上にのった黄身がつやつやと輝いていた。

妹を送り届け、心地よく重たい体を抱えてふたり暮らしのアパートに帰った。ドアを開けると人肌のにおいがした。リビングの奥に、赤ワインの跡がついたグラスと、私は絶対見ないタイプのYouTubeのカラフルな画面と、部屋着姿でぽつんと転がっている夫が見えた。私の居場所はここだったかも。口角がほんのちょっと上がってしまうのを感じながら、私はほんとうにさりげなく、そう思った。

私的ベージュ女子

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涙、雨、コップ

2023/6/25

ぶっ壊れた。

午後に前から予定していたタスクがいくつかあったのだけれど、ここ最近色々なことに追われてしまっていて、自分の中できちんと準備ができていなかった。間に合わせなきゃ、と思うのだけれど、時計の針は私の目の前で無情なほどの正確さを持って進んでいく。予定の時間が近づけば近づくほど、頭はセメントを流し込まれたかのように動かなくなる。そのくせ、この際超どうでもいい事ごと(例えば今週の献立とか、来週会う友達への贈り物に何を買ったらいいかとか、知人への電話を忘れていたこととか)が湧き水のようにちょろちょろ滲み出しては私の思考を邪魔した。ああ、もう、いっぱいかも。

何が引き金になったのかよく覚えていない。出発を促す夫の呼びかけに私はこたえられなかった。無理とできないを繰り返しながら、あっという間に視界がぐちゃぐちゃに滲んでいくのを、もうひとりの自分が呆れて見ていた。あーあ。二日連続。今日はもっと最悪で、涙は全然止まってくれない。

夫は私の頭を撫でてくれた。私は自分がいっぱいいっぱいになっていることを、途切れながら説明した。私の目の前には、表面張力が限界を迎えて水がふちをのりこえていく途中の、小さなコップがあった。あまりにも小さく、薄いガラスのコップが。今日は止めにしよう、と夫は言った。私は自分がものすごい情けない甘ったれに思えて、ううん行くよ、と首を振ったのだけれど、そうしている間にもまた涙のやつがまぶたを乗り越えてきやがるので、もう予定をこなすどころでないのは私にも明白だった。

「今日はどこかに行って遊ぼう」夫はなにかのドラマか小説にでてくる、ものすごく気の利いた友達か彼氏かお父さんみたいなことを言った。授業をサボったり大事な予定をキャンセルしたりして、落ち込んだ友達とか不機嫌な女の子とかとプライスレスな時間を過ごすの。そういうやつ。私ってほんとうに情けないなあ……という当たり前のことをもう一度ひしひしと感じてしまって、でもそれ以上に一瞬で私は楽になって、(だめな私で)ごめんね、(だめな私でいさせてくれて)ありがとう、を何度も繰り返した。その度によくわからない種類の涙が目から生み出されて大変困った。「壊れちゃったみたい」私は言った。

行き先はすぐに決まった。こういう時に行かなければいけないところは決まっている。私たちは車に乗って、となり街にある行きつけのギャラリーカフェまで車を走らせた。思いがけず外の風は爽やかで、私の涙の源泉は次第に穏やかになっていった。運転席に座った夫は時々私の顔を伺っては、元気になってきたね、と嬉しそうに笑った。あ、くるしい。

六月の展示はガラス作品、と、このギャラリーではなんとなく決まっている。私はそのセンスをものすごく愛している。「雨音」と書かれたポスターが玄関に貼ってあった。空気が少しつめたくなった。

古民家をリノベーションした居心地の良いギャラリーは、いつもと同じ少し湿った木の匂いで私たちを迎えてくれた。夫を引き連れてその空間に入った途端、からだがすんなりその場所の温度と湿度に同化した、気がした。

雨が降っていた。音のない雨が空間に満ちていた。うつくしい流線型の小鉢やグラスや水差し、花瓶、とうめいのも涼やかな色がついたのも。水たまりのような文鎮。逃げ水を模した鏡。雫となって私に降りてくる途中の、雨粒みたいなモビール。空模様のようにさまざまな個性のある風鈴。そっと鳴らすと、リロ、微かでなめらかな音。りんとしたひとの涙が地面に落ちる時みたいな、清涼でいて慈しみのある音色。私の体にまとわりついた、ぬるぬるして重たいなにかが、綺麗に洗い流されていくのがわかった。

とくに私の目を奪ったのはひとつの青い水たまりだった。青?ちがう、でも、緑でもない、在廊していた作家の方に「珍しい色ですね」と聞くと、既存の色ではなく自分で配合して生み出した色だという。もうこの色は出せないと思います、と笑っていた。きゅんんんとした。かがんでその小鉢を眺めると、厚いガラスの底が透けてほんとうに水が入っているように見えた。そっと指を入れてみた。目を閉じれば、満ち足りて揺れる雨水の感触がリアルによみがえる気がした。よく見たらその作品の名前は「あまもり」だった。きゅんんんんん!!完全にやられた。

結局夫がその小鉢を買ってくれた。私たちは一杯のお茶をたのみ、風が抜ける気持ちの良いカフェスペースでくつろぎ、窓際からこぢんまりした綺麗な庭園を眺めた。ずっと大好きだった場所に夫が今いることが不思議で、むずがゆくて、とても嬉しかった。夫はアイスティーを飲みながら、古民家の建て付けの良さを褒めていた。目に見えないものばかり眺めている私にとって、目の前にある、目に見えるものをちゃんと見ることができる彼をとても頼もしく感じた。

帰りがけにマスターに夫を紹介した。なぜかマスターの方がはにかんでいた。あたたかい祝福をうれしく受け取り、その場所を後にした。全身に優しい雨を浴びたような気分で、本来雨は好きじゃないのに、その感覚はとても気持ちが良かった。

ビロードの生地にミルクをこぼしたみたいな空。帰り道は私が運転した。溜まっていることに気づかないんだから、定期的に遊びに行かなきゃだめだよと夫が言った。2週間に一度は好きなことをする事!くるしい、それはつまりごめんねとありがとうと愛してるの集合体である。夫と出会って私は不安定になった。不安定になることすら今まではできなかった。不安定なままの私でいさせてくれてありがとね。私のプレートはずれ続けている。これから少しずつ成長するからね。

家に帰って、私の水たまりを取り出し眺めた。とうめいな青緑は、もしかしたら涙の色かもしれない。相変わらずそこには水が満ちていた。「たたえる」という言葉を思い出した。私のコップの水がまたいつか溢れたら——溢れても、大丈夫、美しい水たまりがそのあまもりを全部受け止めてくれるから。見えないものばかり見ようとする私は、夫に隠れてまた、そんなことを考えていた。

優しい手


見出し画像:@eva_matsurika

貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。