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『ルカ福音書2章8節から』オリジナル

『ルカ福音書2章8節から』

「困難と苦労のまわりに……」
会堂のベールをくぐる。
「栄光が輝いていたらどうなるか。羊飼いたちは、天使の栄光を見て恐れたと書いてあります。人間的な労苦の周りに、神に属するものが輝いていると、人は、畏怖を感じるのかもしれません」
出入口から近い長椅子の、誰もいないところへ座った。革製のブックカバーが焦げ茶色に使い込まれている聖書を、私は、セカンドバッグから取り出して開いた。
「人間は人知を超えたものを恐れます。何をされるかわからない!……先を見通せない不安が、恐怖を倍増させるということも、あるかもしれません。そんなとき天使はどのように声をかけたでしょう。10節です。恐れるな。見よ、すべての民に与えられる喜びを、あなたがたに伝える」
バルコニーのパイプオルガンや、大理石のマリアが収まる壁龕などはない、町の小さな会堂だ。説教者の脇で、赤い四本のアドベントキャンドルが凸凹に光っていた。
「恐れるな!と一喝するんですね。そのあとすぐに、恐れなくてよい理由を説明しています。どうして恐れなくていいんですか。喜びがあるからだ。喜びとは、主があなたを愛していますよ、そこに主の平和がありますよ、ということです」
「そんなことを言われても!証拠は目に見えないと嫌だ!!と思いませんか。みなさん。私なら、目に見える形で証拠を出してください!といってしまうかもしれません。証拠とは、しるし、と聖書の言葉では呼ばれています。私たちに喜びが与えられている証拠はなにか。それは12節。乳飲み子が飼い葉桶に寝ているのを見るだろう。それが、あなたがたに与えられた……しるしである。と言っているんですね」
説教者は「しるし」という言葉をもったいぶって言った。ミスチル?ダーリンダーリン??
「もちろん、この乳飲み子はイエスキリストのことです。イエスキリストはわれわれに与えられたしるし、証拠だということです。でも飼い葉桶に生まれているんですよ。段違いの貧しさを想像できるでしょうか。家畜の糞尿の臭い。ハエやアブなどの嫌な虫も飛んでいるかもしれません。どうしてそのような、貧しい中に生まれなければならなかったのか」
「たとえば、もし、主が王宮・宮殿に生まれていたらどうでしょう。主に会いに行くために、裃(かみしも)を着ていかなければならないでしょう。格式ばった、形式だらけの対面。なんだか嫌ですね、私だったら嫌です。でも主は、私たちのために貧しいなかでお生まれになった。それは、たとえ羊飼いのような身分の安定しない者だとしても、そのままの姿で近づけるからだ、と私は思います」
そのままの姿で近づける。すごくいいこと言っているんだと思う。でもまだミスチルが頭から離れないでいた。
「13節から」
説教者は老眼鏡をかけ、ルカ福音書の2章13節と14節を読んだ。
「……地には平和、御心にかなう人にあれ。主の誕生は神様の御使いである天使たちにとっても、福音だったようです。ところでこの、地には平和、という言葉ですが、ともすると躓きにもなってしまうかもしれません。私たちは、地上の平和。戦争がなく、貧困もない、私たちの知っている平和を連想します。しかしこの平和とは、そうではなくむしろ、主の与える平和、ということではないでしょうか。神様の心に適う人には、主の平和がありますよ。」
「羊飼いたちは、しるしである主を、どのように迎えたでしょう。乳飲み子の迎え方にポイントがありそうです。……わたしがこの羊飼いたちの振る舞いを読んだとき、一番最初に思ったこと、それは、彼らはまるでバーゲンで何も買わなかった人のようだ、ということです」
私はとっさに、年末福袋セールに群がるおばさんたちを想像した。それは買わないのではなく、買えなかったのではないか。
「出かけて、確認して、賛美しました。しかしその迎え方はどうでしょうか。どこかすこし、壁がある、そんな気がしてしまったんですね。イエスが私たちのところに来てくれる。でも迎え入れる私たちの姿勢が、整っていなかったらどうでしょうか」
せわしないおばさん達と、もったいぶった懐疑主義者たちが、私の頭の中でぐちゃぐちゃに融合して、ろうそくのように、飼い葉桶の前に立っていた。背後ではまだ、かすかにミスチルが歌っている。
「神様との交わりは色々な方法があります。近づく、見る、聞く、触れる、味わう、愛を受ける、似る、確かめる。私に言わせれば、こうした平和の姿勢が必要なのかもしれません。このあとのマリアのことを見てみましょう。マリアは、思いめぐらした、と書かれています。つまり、評価しなかった、批判しなかったんですね。いわば、判断保留、急がずに待つという姿勢もまた、主を迎える一つの方法なのかもしれません。このような時期ですが、私たちは、平和の姿勢で、主の誕生を喜びたいと思います。お祈りをします」
私は両手を胸の前で組んで目を閉じた。


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